名前を呼ばないで 06




翌朝になっても気は晴れず、午前中の授業は俺の耳を通り抜けていった。
ちらつくのは、雪の妖艶な顔だ。唇を濡らして物足りなさを隠そうともせずに見上げてくるあの顔。 それなのに気がつけばいつの間にか冬の顔に変わっていて、泣いて縋ってくるのだ。


「最悪じゃねぇか……」


雪よりも冬の方が気掛かりだなんてまるで……


「なにが最悪だって?」


俺の言葉を聞きとがめたように、新條が顔を出した。
相変わらずむかつくにやにや笑いを浮かべている。


「別に。お前には関係ないだろ」
「藤宮兄弟の事だろ?」


知ってるなら聞くなっつーの。
不貞腐れたように黙っている俺を見て、新條が隣の椅子を引いて腰掛けた。


「ンだよ」
「まぁまぁ、そんなに機嫌悪くするなよ。折角話を聞いてやろうってのに」
「お前に話す事なんてない」
「ツレないわ〜」


うぜぇと呟いて机に顔を伏せる。まじでほっといて欲しいもんだ。
そんな俺の重症さを分かってくれたのか、幾分真面目になった新條が頬杖をついて俺を覗き込んできた。


「お前さぁ、なに悩んでるわけ?言えよ。俺ら友達だろ」


そんなに暗いと見てるこっちが苛々するんだよ、と慰めているのか分からない事を言う新條に、こんな時なのに笑いたくなった。


「…………レンアイ」
「………はぁ。お前の口から出てくるとは思えない言葉だぞ」


失礼なやつだな。


「まぁ、相手が藤宮兄弟だと悩む気持ちもわからんでもないけどな」


そう言って売店で買ってきたのであろうパンを頬張った。
俺はといえば、昼飯を食べる気にもなれず、ぼんやりと外を見ていた。
降り出しそうでなかなか降らない空を見て、やはり冬の顔が浮かぶ。泣き出しそうな顔をして俺を見上げ、そしてしまいには泣くのだ。
くそっ、と悪態を吐きながら心の中に芽生えてしまった気持ちにいやでも気付かされる。
そんな俺を見て、新條が笑った。


「お前にも人並みに感情があると知って俺はなんだか嬉しいな」
「………消えろ」
「おーおー、怖いね。それで、どうするんだ?」


既に1つのパンを空にしてもう1つのパンに取り掛かる新條に、肩を竦めるしかない。
なにせ、酷い言葉を投げつけたし、昨日の件もある。冬の俺の印象はよくはないだろう、確実に。
お手上げ状態の俺に、新條が1つ提案してきた。


――俺に、賭けてくれる気はないか。


と。
ぽかんと間抜け面を曝す俺の目の前で、新條はニシシと笑った。その笑顔がむかついて、軽く頭を叩いた。


「賭けるって、お前どうする気だよ」
「秘密に決まってるだろ。で、どうすんだ?」
「………賭けるわけないだろ」
「はーん。いいんだ、このままでも。そうだなー……親友同士双子とオツキアイするってのも悪くないかもな」


新條の言葉にはっと顔を上げて睨みつける。
その顔はしてやったりのムカツキ顔だが、言い返せるわけもなくわかったと頷いていた。
俺の反応に満足した新條が、今度は俺に手を突きつけてくる。
なんだ、とばかりに視線を向ける。


「携帯」
「なんでだよ」
「雪ちゃんと連絡取りたいだけだ。どうせメアドくらい知ってるだろ?」
「………」


俺は無言で尻のポケットから携帯を取り出し、些か乱暴に新條の手の上に置いた。
新條の手の間に揺れるストラップは初デートの記念に雪とお揃いで買ったやつだ。これも外さなければ。
同じ機種でもないのに戸惑う事なくメール画面を開き、いつの間にやら送信していた。その手際の良さに内心、舌を出しまくりだ。


「放課後、俺に付き合えよ」
「どこに?」
「『喫茶店 ホロスコープ』」


新條行きつけのお店を思い浮かべて、首肯する。
昼休みは終わりを告げようとしていた。






降りだしそうに灰色がかっていた空は、午後になって泣き始めた。大粒の雨粒をたくさん落としながら、強く地面に叩きつけている。
予備の傘を持っているわけでもない俺たちだったが、甘い言葉で女の子から傘を拝借した新條のおかげで肩が濡れそぼっただけで喫茶店に着く事ができた。
さすがに学校帰りとあって喫茶店も込み合っていた。そんな中で、俺はすぐに雪を見つけられた。
まっすぐに俺を見て、笑顔で手を振っている。
しかしそんな雪に反応を返したのは俺ではなく、隣にいた新條だった。
親しげに手を上げて自分の存在を主張し、俺を置いて雪の隣に腰を下ろした。
きょとん、としたのは俺だけではなく雪もらしい。
急に降って沸いたような新條の出現に、可愛らしく眉を八の字にして俺を見つめている。
はぁ、と溜息を吐いた俺が、雪の向かいの席に座って新條を紹介する。


「こいつ、俺の友達の新條だ。今日雪を呼び出したのはこいつだよ、ごめんな?」
「ううん、それは別にいいけど……なにか用ですか?」


新條の方を向いて可愛らしく首を傾げる。
多分、ワザとだ。雪は自分がどれだけ可愛いのか自覚がある。だから、相手の目に可愛く写る術(すべ)を知っているのだ。
逆に冬は、わかってない。雪の方が目立ちすぎるせいもあるだろうが、雪を抜きにして冬に近づいてくるやつもいる。 それなのに雪に対しての劣等感から、おろおろするだけの地味な男に成り下がっているのだ。
たった数日会っていただけなのに、こんなにも違いを見つけてしまっていた俺は恐らくあの時から冬に気が行っていたのだろう。
それすらも気付けなかったとはな。


「そういえば、冬ちゃんは?」


放たれた新條の言葉に俺はドキッとした。


「冬、も来るのか?」
「あ?当たり前だろ、決着つけるんだろ?」
「冬は後から来ます。それより決着って?」


不安そうに雪の瞳が揺れる。
そりゃそうだ。付き合っているはずのオトコの口から『決着』という言葉が出てくると、良くない事の兆しだと普通は思うだろう。
だが、なにも言う事の出来ない俺は雪から視線を外して入り口に目を向ける事しか出来なかった。
俺の中で沈黙の幕が降りた瞬間だったが、新條の中ではそうではなかったらしく、甲斐甲斐しく落ち込む雪の話し相手になっている。
それから数分後、何人かの客が出入りして、ようやく冬が現れた。雪と同じブレザーをまともに着こなして、濡れた髪を手櫛で宥めている。
冬、と呼ぶ雪を見つけ、それから俺の存在に気付いたように体を強張らせる。
しかしその後ろから現れた男の出現により、体に入った余分な力を抜いてまっすぐに男とここに歩いてくる。
男――嗣仁は、鞄から取り出したふわふわのタオルを冬の頭に乗せて、拭けと合図する。
俺たちの席に着いた2人は、俺の隣に腰を下ろした。
隣に座った冬の漆黒の髪からぽたぽたと水滴が落ち、頬を伝って顎に流れ首筋を這う。
その様子を見ながら俺は紅茶を飲んだ。


「こんにちは、冬ちゃん。今日君を呼び出したのはこいつじゃなくて、俺だから」
「あ、はい、こんにちは」
「うーん……可愛いね、冬ちゃんは。あ、俺、新條統麻(とうま)って言うの。統麻でいいよ」
「よろしくお願いします。僕は藤宮冬です。こっちが僕の友達の東嗣仁です」


ぺこり、とお互い頭を下げる。
そんな2人――特に冬をを見て、新條が嬉々として目を細めた。
嫌な予感がして、俺は渇いた唇を舐めた。『可愛い』と褒めた事といい、『統麻』と呼んでと言った事といい、新條は良くない事を企んでいる。
そう考えている俺に気付いたのか、俺をちらりと見てふんっ、と鼻を鳴らして笑った。
それから――。


「冬ちゃん、俺、一目惚れしました。俺と付き合ってくれないか?」


数秒の沈黙の後に、俺と嗣仁の咳き込む音が聞こえた。
俺は空咳だったが、嗣仁のは完璧に紅茶が別の器官に入って咽た咳だ。


「新條、お前っ」
「なに、いいじゃん、別に。俺、お前と付き合おうって言ってるわけじゃないんだから」
「当たり前だ、気持ち悪いっ」
「なら、口出しするなよ。ね、冬ちゃん」
「えっ、あ、ぇ……はい」


混乱した頭を必死に宥めようとしているのか、先程の雪と同じ困った顔で新條を見つめている。


「だめに決まってます!」


と、大声を張り上げて講義したのは俺でも冬でもなく嗣仁だった。
混乱する冬をぎゅっと抱き寄せて、新條を睨みつけている。その腕の中で冬はさらにあたふたしている。


「なんで?月森にも言ったけど、お前にも関係ないだろ?」
「ありますっ。俺だって、冬が好きなんですからね!」


突然のライバル発言に、さすがの新條も固まった。それから意味ありげに俺を見て笑い、嗣仁と向かい合った。


「東くん、ライバルとして君に話がある。俺に付き合ってちょっと表出てくれるかな?」


笑顔のままでそう言う新條に1つだけとは言え、歳若い嗣仁が勝てるわけもなく、「嗣仁…」と気弱に呼ぶ冬の声も無視して2人は店を出た。
俺と双子だけの組み合わせになったテーブルには、重い沈黙のベールが降りたように静まり返ったが、美男子と中性的な顔立ちの双子の組み合わせに周囲は 色めき立っていた。
とりあえずなにか食べる?とも聞けず、俺たちを置き去りにした新條を恨んだ。


――なにが、賭けてくれる気はないか?だ。賭けてもなにも変わらないじゃねぇか。


心の中で悪態を吐く俺の向かいで、雪が動いた。
俺の真正面から冬の真正面へと移動して、困った顔をしている冬の顔を覗きこんだ。


「冬、もてもてだね。新條先輩からも嗣仁からも告られるなんて」
「ちが、そんなんじゃ…」
「あ、でも嗣仁はやめてよね。あいついつも僕に喧嘩売るんだから」
「雪……」
「それにしても良かったね。これで前の失恋の痛手を忘れられるんじゃない?」
「っ、雪!!」


途端に冬が立ち上がり、雪を怒鳴りつけた。と言っても大声を出して雪を黙らせただけだったが。
だがそれだけでも、俺にとっては衝撃的だった。
冬が最近失恋していたとは。
ところが、雪は俺に聞かせるためかわざと、声を途切れさせる事もなく話を続けた。


「だってこの間、すごく泣いてたじゃないか。僕が月森先輩と付き合うって言った時。フラれたって」
「!!」
「雪、お願いだから……っ」


俺のせいで、泣いた……?
だって、俺が雪と付き合うって言ったのは、俺が冬に酷い言葉を投げつけた時だ。それにフラれたって……。
冬の肩を掴んで俺を振り向かせると、その顔は赤く、目には涙が光っていた。


「冬…?」
「っ、ごめ…なさっ」


俺に対して謝りながら俺の手を解くと、一目散に店の外へと駆け出していった。
そんな俺に、雪が冷たい声で言葉を浴びせかける。


「先輩、追いかけないの?」
「は?」
「冬、知らない人に絡まれちゃうかもよ。そうでなくてもこんな雨の中帰ったら風邪引くかもね」


俺を見ようともせずに紅茶を飲みながら、雪が言う。
だが俺はわけもわからずに、雪を見つめるしかない。
なにせ、俺の気持ちは黙っているものの、今は雪と付き合っているんだから。そんな言葉を言う雪がわからない。


「僕、冬が思ってるほど鈍くはないんだよ?先輩が、僕の事好きじゃないのも、冬が先輩を好きなのも、ちゃんと全部知ってる」
「雪?」
「それでも先輩と付き合ってたのは、意地かな。僕の方が最初に声を掛けたのに、僕と話していても上の空の先輩とか、必死に先輩への好意を隠している冬に 苛々して。でももう終わりにする。だってなんか、虚しいだけじゃん、それって」


ようやく俺を見た雪の顔はどこか晴れ晴れしていて、涙の1つも浮かんでいない。
いっそ清々したような笑顔を俺に向けて、冬を追え、と繰り返した。
その言葉に弾かれたように、俺は席を立ち財布から2000円を取り出してテーブルに置き、感謝も適当に冬の後を追った。


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