名前を呼ばないで 05




がちゃんと目の前で扉が閉まる。玄関ホールに残るのは気まずい沈黙だけだ。
最初に口を開いたのは雪だった。


「ごめんね、冬」
「え……?」
「その、変なもの見せちゃって」


顔を染めて俯く雪は弟の僕から見ても可愛かった。同じ容姿をしているのに、素直に自分の意見を伝えられる雪に先輩が惹かれるのも無理はないと思った。
ううんと首を振って笑う。


「大丈夫だよ。無粋な真似をした僕の方こそごめんね」


僕があのタイミングで現れなければ2人の甘い一時を邪魔されなかったわけだし。
でも、本当はあのタイミングで出てきて良かったと思っていた。邪魔できたから。
雪に対する嫉妬のような悪戯心が僕の心を重くする。


――いつから僕はこんなにいやなやつになったんだろう。


まるで1人の人間の良い所を雪が、悪い所を僕が持って生まれてきたみたいだ。
リビングに戻ろうとする僕を雪が引きとめた。


「ねぇ、冬」
「なに?」


真剣な顔をした雪が僕を見つめている。


「月森先輩の事、好きじゃないよね?」


僕の顔から表情が消える。呼吸の仕方さえ忘れてしまったかのように静寂が訪れる。


「なに…言ってるんだよ。好きなわけないじゃないか」


渇いた笑いを零して雪から視線を外す。
途端に、張り詰めた空気が消え、雪の顔も愛嬌のある可愛い顔に戻る。


「どうしたの、急に」
「んーん。双子で同じ人を好きになったら修羅場だなぁと思ってさ」
「へ…ぇ」


もう僕はその修羅場に遭遇しちゃったんだけどね、と心の中で自嘲する。
そういう展開があればな…と僕も期待しちゃいたいけど、月森先輩は雪だけが好きみたいだから望みなんて最初からないのだ。
幸せそうに笑う雪を見つめて、2人でリビングに戻った。


「あ、嗣仁!!なに勝手に僕のご飯まで食べてるんだよ」
「あ?途中で消えるお前が悪い」


リビングに入った途端に始まる喧騒に僕は苦笑した。


「雪、まだ残ってるからおかわりすればいいじゃん」


ふんっと頬を膨らませた雪を宥めるように言って、僕も食べかけのペペロンチーノを口に運んだ。


「もういいよ。ご馳走様っ。僕もお風呂に入ってくる。嗣仁はそれ食べたら帰ってよ!」


ほんと仲悪いんだから、と笑いながら嗣仁に謝る。


「ごめんね、嗣仁。まさか雪がこんなに早く帰ってくるとは思わなかったからさ」
「別にいいけど……なぁ、冬」
「んー?」


ちゅるちゅるっと麺を口に入れ、なにと嗣仁を見た。
片手で頬杖をつきながら、じっとこっちを見ている。


「最近付き合いが悪かったのって、あいつのせい?」
「―――っ、ち、違うよっ」


嗣仁のいう「あいつ」が誰の事なのかすぐに察せられて、大きく目を見開く。
咄嗟に否定したけれど、これじゃ肯定しているのと同じだ。それでなくても今日はボロを出しまくったんだから。
嗣仁もそれに気付いているらしく、僕に向けていた視線をテーブルに落とした。顔に影が落ち、男っぽさに拍車がかかる。


「嘘吐くなよ。俺は雪ほど鈍感じゃないって」


なんだか責められているみたいで、一気に思考が暗くなって泣きたくなる。


「……い?」
「なに?」
「…気持ち悪い?軽蔑する?……そ、だよね。男の人だし、雪の恋人だし、…」
「ちょっ、ストップ、ストップ!!」


雪は自分の性癖を隠そうとはしなかったから嗣仁も知ってるけど、僕は嗣仁になにも言ってなくて、そのせいで気持ち悪がられるんじゃないかと思ってしまう。
嗣仁が雪を嫌いなのは、雪の性癖が異常だからじゃないんだろうか。
そしたら僕も嗣仁に嫌われてしまう。
せっかく僕を見てくれる友達を見つけたと思ったのに、こんな事で失うなんて。


「ふ、冬、泣くな。責めてるわけじゃないんだから、な?」


なぜか嗣仁の方が慌てていて、涙を零す僕の背中を摩っていた。
泣いてすっきりしたのか、最後に1度鼻を啜ってごめんと嗣仁から離れる。


「謝るなよ。冬が悪いわけじゃないんだし」
「でも…」


嗣仁に黙っていた事は本当だ。
そう伝えるとくしゃりと髪を撫でて嗣仁が破顔した。


「俺が無理矢理吐かしたようなもんだろ。冬が男しかダメな事知ってて俺も黙っていたから、俺も同罪だろ?それに、俺……良かったって思ってるし」
「え?」


嗣仁がなにを言っているのか咄嗟にわからなくて、思わず泣き腫らした顔で嗣仁を見つめた。
すると真っ赤になった嗣仁が俯いて麺を突付きながらやけくそに洩らした。


「俺だって、冬の事が好きだ」
「―――え、」
「〜〜っ、2度も言わせるなよ!好きだっつってんのっ」


――嘘、だ。


だってそんなわけないじゃないか。嗣仁みたいないい男が僕を好きだなんて。
雪じゃなくて僕を好きだなんて……。


「う…」
「嘘じゃないからな。本当はずっと言わないつもりだったけど、ライバルがあの男なら絶対に負けない。……なぁ冬。あんな男やめて俺にしとけよ。大事にするよ」


ふわりと笑った嗣仁の手が僕の頬に触れる。
さらりと撫でてその手を口許にあてた。
僕を見つめる嗣仁の目に嘘があるとは言えないけど、何故僕なのかがわからなかった。大抵の人は僕よりも雪の方がいいと言うのに。
雪が駄目なら僕でもっていう人もいたけど、嗣仁がそういう人じゃないって事は僕が1番良く知っている。遊びで人に手を出すいい加減な男じゃないのだ。
それに、勘違いもしてる。
ライバルが月森先輩だなんて、可笑しくて笑えちゃう。僕は彼の眼中にもないのに。


「冬、どうかしたのか?」


笑っている僕を訝しむように、怪訝そうな顔で嗣仁が僕を見遣った。


「可笑しいよ、それ」
「なにが?」
「嗣仁の言葉じゃ、まるで先輩が僕を好きみたいじゃないか」


それがどうした?とさらに眉を寄せる。
ほんと、嗣仁って鋭いのか鈍感なのかよくわからないんだから。


「先輩が好きなのは僕じゃなくて、雪。2人は付き合ってるんだからね。知ってるでしょ?」
「でも……」


続けようとした嗣仁の言葉に首を振って遮り、ゆっくりと息を吐く。
言ってしまおうか?僕の悪い部分を。先輩を騙して、"雪"として付き合っていた事を。
嗣仁に嫌われたくはないけど、これ以上嗣仁に隠し事なんてしたくない。
勇気をかき集めて、嗣仁の顔を真っ直ぐに見た。


「あのさ、嗣仁。本当は僕、先輩と付き合っていた事があるんだ」
「……」


嗣仁の目は驚きに見開かれていたけど、僕の言葉を遮る事なく黙って促す。
驚きこそあれ、嫌悪はない。
ほっと一息吐いて、一気に喋りだした。
先輩の勘違いで告白されて、雪と偽って付き合っていた事、先輩にバレて嫌われてしまった事。そして、先輩が好きな事も。
最後には堪えきれずに、もう1度涙を零していた。嗣仁の無骨な指が優しく僕の頬を撫でた。


「ごめん、嗣仁…っ、ごめん」


黙っていた事、それに嗣仁の気持ちを受け入れられない事への謝罪に嗣仁は笑った。
いつもと変わらない嗣仁らしい笑顔だった。


「謝るなって言っただろ?冬も辛い思いしてたんだな。そんな事にも気付けないでごめんな」
「そ、んな事ないよ!嗣仁こそ謝るなよっ」
「あぁ。―――それと俺、諦めるなんて言ってないぜ」
「は……あぁ?」


くっくっと腹を抱えて笑う嗣仁のおかげか、シリアス的な雰囲気はもうない。
笑いすぎて目尻に溜まった涙を指で拭って、嗣仁が僕を引き寄せた。


「う、わっ」


近くで見る整った顔に吃驚してトマトのように顔を染めた。


「脈ありと見た」
「な、ななななに言ってるんだよ!」
「好きだよ、冬」


耳元にそっと吹き込まれる吐息のような囁きに、どきんっと胸が高鳴る。


「で、でも…」


やっぱり先輩が…と続けようとした言葉を遮ったのは、お風呂上りの雪だった。


「あ――――ぁ、嗣仁っ!!冬から離れろっ」
「ちっ、風呂場で逆上せてればいいのに」
「黙れっ、いいから離れろって!」


舌打ちしてはいはいと僕から離れる。すかさず雪が僕の側にやってきて僕の体を抱きこむ。
離れていった温もりに知らず物足りない顔で嗣仁を見上げた。


「――そんな顔で見るから悪いンだぞっ」


なにが?という疑問を問いかける事もなく、唇に温もりを感じた。
耳元で雪の叫び声が聞こえる。


――キ、スされてる…?


触れるようなキスだったけど、ピントのあった嗣仁の顔が見えてきた頃には雪が反撃しだしていて、逃げるように嗣仁がじゃあなと声を掛けて出て行った。


「ふ、冬、大丈夫!?虫にでも刺されたと思って、ね!?」


雪の声もまるで聞こえていないかのように、僕は茹蛸のように真っ赤になった顔で部屋に入っていった。
夜更けまで眠れなかった。


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