天国への階段 01




ざわざわとうるさい都市の空港。ガラス張りの窓から多すぎる程の光量が入り込み眩しいくらいだ。
1階の正面ロビーからは遠く離れた端にある到着ゲートで、僕は兄と弟とともに3年間もの間イタリアへと長期留学していた長兄が出てくるのを今か今かと待っていた。
時間としてはお昼が少し過ぎたくらいだ。 30分も前からずっとこの到着ゲートの前で待っていた僕としてはどこかでお昼を済ませたい心境だが、ゲートの前からてこでも動かない状態の兄と弟には手も足も出ない。 それにちらちらと周囲の視線を浴びている2人に話し掛ける勇気など僕にはない。
僕から離れて立っている……正確には僕が離れたんだけど……兄の慶(けい)と弟の瑛(えい)は、本人がどう思っていようとかなりの注目を集めている。 慶兄さんは大学2年生だからスーツで身を固め、都内の進学校に通う瑛は午前中の授業に顔を出したために制服だ。
そんな2人が並んで立っているものだから、なんかの撮影みたいだ。
因みに僕は大して知られていない公立の高校に進んだおかげで土日に登校なんて事にはならないし、今着ている服だってTシャツにジーンズというどこにでもいる平凡な男だ。 容姿に関してもハーフの父さんと元トップモデルの母さんのなにをとって生まれてきたのか分からない程の凡庸さ。 既に1つ下の瑛にまで身長を抜かれて167cmからてんで動かない。きりっとした男らしい顔立ちからは遠いなよなよした頼りない子供顔。 その顔を覆うように掛けられた眼鏡が、さらに僕と兄弟との壁を大きくしている。
離れて立っているのだってそのせいだ。目立つ2人の側に僕みたいなやつがいると、色々な人から睨まれる。 その理由がなんとなく理解できるだけに、こういう公共の場では慶兄さんにも瑛にも近づかないようにしている。 少し距離を持って後ろから歩く、ただそれだけの事だが兄弟という濃い繋がりのある僕たちがやるにはとても変な事だろう。 だがしかし誰にも目をつけられないように、静かに平穏に暮らすをモットーとしている僕にとっては、絶対に近づきたくない2人なのだ。
それなのに――。


「悠(ゆう)!そんな所でなにしてるんだ。暁(あき)兄さんがもうそろそろで来るんだ、こっちに来なさい」


扉の向こうで10分程前に着いた飛行機の大型荷物が流れるベルトが動き出している。その手前で慶兄さんが僕を手招いている。 途端に僕にも集まる無数の視線。それが不意に凶器に似た射す痛みを伴って僕に襲い掛かる。 わかってはいるんだ。慶兄さんと瑛はかっこいいから、僕にもそうであるようにと強要するかのような期待の眼差し。そしてその期待を裏切った醜い僕への冷たい視線。 「あんたなんかがあの2人に呼び出されるなんてっ」っていう僕としてはありがたくない心の中からの本音を代弁したかのようなきつい視線だ。
そのきつい視線に晒されながら僕はゲート前に立つ慶兄さんと瑛を視界に捕らえた。 相変わらず数多の視線をものともせず、立っているだけで絵になる2人が僕を見ていた。
慶兄さんが僕を誘うように手招いているが肌を刺す視線の中を歩いていこうとは思わない。だが、瑛が僕を睨んでいる事に気付くとさすがに落ち着いていられない。 不機嫌な瑛というのは僕の手には負えない。仕方なく2人の元に時間を掛けてゆっくりと歩いていく。
その中にまだ暁兄さんの姿は無い。暁兄さんは慶兄さんよりも目立つ。なにしろモデルとしてイタリアへ渡ったくらいだ。
また格好の話題を提供するハメになるんだろうな、と溜息を吐きつつ慶兄さんと瑛の側に立つ。 すると運がいいのか悪いのかタイミングよく到着ゲートをくぐった暁兄さんが姿を現した。
190cmに届きそうな長身とサングラスで顔を覆ってはいるがその落ち着いた物腰から感じられる、「いい男」の気配を周囲の女性は敏感に察知する。 一斉に、現れた美男子へと注目する。だがその男も慶兄さんと瑛と同種なのか、気にするでもなく僕らの元へと歩み寄ってきた。
この美男子こそが僕たち兄弟の長兄、暁兄さんである。
暁兄さんがサングラスを頭の上に掛けるように押し上げながら、僕の前で立ち止まった。同じ親から生まれて来たのが嘘のように似ていない2人の完成だ。


「やぁ、ただいま」


にっこりと微笑みながら僕に触れた。昔から暁兄さんは僕に変に優しい。それはいまだ健在のようだ。 久しぶりに見る暁兄さんの笑顔にほんのりと頬を染めつつ「おかえり」と返した。


「慶も瑛もただいま」
「おかえり、兄さん」


うん、僕なんかがするよりもよっぽど兄弟らしく見える。
暁兄さんの大きなスーツケースを慶兄さんが受け取りながら歩き出す。 モーゼの名場面ってわけじゃないけど、兄さんたちの行方を阻む事は本意じゃないとばかりにぱっと人垣が横に割れた。
車は慶兄さんが運転した。流れるような風景を後にして僕にしては数時間ぶりの、暁兄さんにしては3年ぶりの我が家へと向かった。






僕の家は自慢するわけじゃないが、日本ではかなり有名だ。SATOグループと言えば誰もが「ああ」と納得するくらいだ。
イギリス人とのハーフである父は身長が高く、すらっとしていた女性ならみなぽーっと見惚れるくらいにかっこいい。その父のハートを射止めたのが、当時売れっ子だった母だ。 父の隣に立っても劣らぬ容姿を誇っていた母とわずか半年で結婚に漕ぎ着け、当時のマスコミを騒がせた。
その父と母との間に生まれたのが、僕たち男4人兄弟だ。25歳の長男、暁兄さん。 そのルックスと語学力の豊富さを買われてイタリアへとモデルとして留学していて、今日戻ってきた。今後は日本で仕事をするようだ。 次男の慶兄さんは天下のT大の法学部だ。父譲りが8割、母譲りが2割のかっこよく綺麗な慶兄さんだが、いまだ彼女はいない。だがだいぶ遊んでいるようではある。 四男の瑛は僕より1つ下の高校1年生。第2の暁兄さんになりそうな勢いで女性の注目を集めている。
今紹介した3人だけなら、美男兄弟に見られるだろうがそこに僕が加わるとまるで駄目だ。ひそひそと囁かれる陰口に、ぐっさりと心を抉られる。 「佐藤さんの三男は…」とか、「1人だけ…」なんてのはよくある話だ。長年言われ続けていただけに、諦めてしまっている。
それなのにどういうつもりか父も母も兄さんたちや瑛ですら、僕をないがしろにするどころか所構わず構い倒す。
今も玄関の扉を開けば、主役の暁兄さんよりも先に母に抱きつかれる事だろう。
大きな敷地に見合った広いスペースを誇る駐車場に車を止めて、ガチャリと音を立てて玄関の扉を開いた。 途端に気付いたように奥からぱたぱたとスリッパの音が聞こえてきた。
僕の予想を裏切らずぎゅっと僕を抱きしめた母が、体を離して今度は暁兄さんへと抱きついた。


「お帰りなさい、暁ちゃん」


この母にしてみれば25歳の暁兄さんも「ちゃん」で片付けられるらしい。
にっこりと笑んで、勢いだけなら外国式の挨拶でもしそうだが、すぐに困ったような表情を作った。


「どうしたの?」
「実は、記者の方が見えていてね、今リビングの方でお話しているのよ。だからもう暫くしてからリビングにいらっしゃい。 記者の方が帰った後にみんなで暁ちゃんの帰国パーティをしましょう」


母が小首を傾げながら提案する。
暁兄さんの荷物を持った慶兄さんが苦笑を洩らしながらそれに頷いた。


「わかった。母さんは早くリビングに戻って父さんと一緒に客の相手してろよ。俺たちは2階で兄さんと積もり積もった話をしておくからさ」
「ええ、そうしてちょうだい」


少女のような可愛らしい微笑を浮かべた母が、再びぱたぱたとスリッパの音を鳴らしてリビングへと消えた。
僕たち4人は玄関ホールの隣から伸びる2階へ通じる階段を上がってそれぞれの部屋に入った。 僕は着替える必要もないし手荷物も持っていないのですぐに暁兄さんの部屋へと向かった。 暁兄さんの部屋はお手伝いさんが週に1度掃除をしていたので、3年もの間部屋の主が留守にしていても埃が溜まっているなんてみっともない姿を晒してはいない。
慶兄さんから受け取ったスーツケースをベッドの横へと置いて、ネクタイを緩めながら窓を開けた。


「ん、相変わらずだな」
「なにが?」
「3年も経ったのに、空気は澄んでいて綺麗だし、俺の部屋も一切変わっていない」


クローゼットを開いてスーツのジャケットをハンガーに掛けながら、暁兄さんは僕を見た。


「変わったのは悠がかわいくなった事だけかな」
「僕だけじゃないよ。慶兄さんだって大学2年生だし、瑛は既に僕の身長を越しちゃったんだから」
「あの2人は比べ物にならないよ、悠は」


……僕とみんなとでは比べるほうがばからしいのかな?と考えていると、顔に出ていたらしく暁兄さんが苦笑して近づいてきた。


「まーた、くだらない事を考えているんだろ」


ばふんっとベッドが軋み、僕の隣に暁兄さんが座った。ふんわりとトワレが香った。


「比べ物にならないってのは、慶にも瑛にも可愛げがないって言ってるんだよ。体格だけよくなって懐かれても可愛くないだろ。 その点悠は母さんに似て容姿にしても性格にしても可愛らしいだろ」


男に対して可愛らしいという言葉が当てはまるのだろうか。それに母さんに似ていると言われても僕はそうは思わない。鏡を見ればそんな事思えるはずもないのだ。 これは暁兄さんには分からない、僕だけにしか分からない事なんだと溜息を吐きつつつくづく思う。
丁度その時、こんこんと暁兄さんの部屋の扉が訪問者を告げ、慶兄さんと瑛が入ってきた。 慶兄さんは暁兄さんと同様にスーツのジャケットを脱ぎネクタイを緩めて調えていた髪も手櫛で梳いたようだ。 瑛は制服から普段着るようなラフな格好に着替えているが、それすらも僕と違ってかっこよく決まっている。
2人はきょろきょろと部屋を見渡し、それから慶兄さんは僕の隣に、瑛は暁兄さんの机の椅子を引いて腰掛けた。


「なんか兄さんがこの部屋にいるって新鮮だな」
「そうか?まぁ3年も経つとそう思うのも無理ないかな」
「イタリアはどうだったの?」


イタリアに渡る時よりもさらに男らしくなった暁兄さんの顔を見つめながら僕は尋ねた。


「普通だったよ。ただいつも洋食ってのが飽きたな。たまには和食が食べたいよ。悠の手作りが恋しくなっちゃったよ」
「そんな…褒めすぎだよ」


恐縮して俯いたおかげで長い前髪で顔全体がすべて隠れてしまった。それを払うようにさらりと僕の髪を弄んだ暁兄さんがふうと溜息を吐いた。


「なんで悠はこんなにまで自分に自信がないのかなぁ。いっそ、眼鏡を辞めてコンタクトにしたらどうだ?」
「えっ!?」


びっくりして思わず慣れ親しんだ眼鏡を上から押さえた。
小学校に上がる頃からずっと掛けていた眼鏡は、僕にとっていわば鎧のようなものだ。 誰になにを言われても分厚い眼鏡の奥では僕がどんな表情をしているかなんて誰にもわからない。長い間、それだけが兄や弟と比べられる僕を助けていたのだ。
なのにその鎧を奪われるなんて……。


「む、無理だよ」
「なにが無理なんだよ。兄さんだってそんなウザい眼鏡なんて本当は掛けたくないんだろ?」


誰がそんな事言ったっていうんだよ!
今まで黙っていた瑛が、すすすっと僕の方に近寄ってきて押さえていたはずの眼鏡を僕から取り上げた。


「うわっ!」
「………」


露わになった僕の素顔に兄さんたちが息を呑むのがわかった。


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