天国への階段 02




じっと注がれる視線に耐え切れなくなった僕は思わず顔を背けて、眼鏡を返すようにと瑛に手を差し伸べた。 しかし瑛に触れる事なく、僕の手は隣にいた暁兄さんに攫われた。


「悠……お前、随分綺麗になったじゃないか」


ほうと溜息を漏らしつつ、暁兄さんの長い指が僕の顎を捕らえた。ぼんやりと霞む視界に暁兄さんの顔が朧気に映る。 どんな表情をしているのかも、また今の言葉の意味さえわからぬまま今度は慶兄さんと瑛が暁兄さんを押し退けて僕の眼前にその整った顔を晒した。


「わーお。暁兄さんの言うとおりだ。兄さんも随分綺麗になったじゃないか」
「本当だ。いっそ食べちゃいたいくらいだ」
「おいおい物騒だな。しかしお前たち2人のその様子だと、悠の顔を見るのは久し振りのようだな」


目を見開いている慶兄さんと瑛を見て、暁兄さんが意外そうな顔をして言った。


「だって、悠が照れて俺たちにすらろくに姿を見せてくれなかったんだから。なあ、瑛」
「うん。兄さんがイタリアに行く時に見たのが最後だよ」


慶兄さんと瑛の言葉通り、僕は家族にすらあまり素顔を見せない。というよりも綺麗すぎる自分の家族だからこそ見せたくないと思っているのだ。 そんな事も察しようともせず、いまだじっと注がれる視線に耐え切れなくなった僕は、ふいっと顔を逸らして今度こそ瑛の手に握られた眼鏡を奪い返した。


「あーあ、もったいない」
「うるさいっ!!人の事をとやかく言うな」
「……はぁ」


身長は越されてしまったが、年齢だけは負けていないんだとばからしく誇示するように偉そうな口調で瑛に言った。 瑛は「ちぇー」と残念そうに頬を膨らますが、例え家族全員に「眼鏡じゃなくてコンタクトにしたらどうだ」と勧められても、絶対に首を縦には振らないだろう。
それから暫く僕たち4人はお互いのいなかった3ヵ年の空白を埋めるように話した。けれど再び顔を見せた母さんの言葉に声を失ってしまった。


『――記者の方が家族の写真を取りたいっておっしゃるんだけど…』


困ったように片手を首にあてがい小首をかしげる様はモデルではなくアイドルを彷彿させ、男ならば「写真の1枚や2枚、喜んで写りましょう」と言ってしまうかもしれないが、 僕はそういうわけにはいかない。なぜならその写真のおかげで散々な目に遭ってきたからである。
家族写真となると、もちろんの事ながら家族全員で写らなければならない。注目を集めすぎる両親や兄さんたちと一緒に写るなど到底できない話だ。 以前、家族で写した写真を偶然クラスメイトに見られた事がある。その時の反応がいまだに忘れられなくて写真を撮られる事をひどく嫌っているのだ。
母さんと同様に眉を寄せて心底困ったような顔を作っても、母さんのような可愛さは感じられない……いや、感じられても困るだけだが……。 兄さんたちはなぜこうも僕を可愛がるのかが不思議なくらいだ。


「悪いけど、断ってよ。でなきゃ、僕抜きで撮ってもらって…」
「そんな事出来ないわ。聡(さとる)さんが既にOKのサインを出しちゃったし、家族全員でって言われちゃったんですもの」
「そんな…困るよ」


助けを求めて兄さんたちの方に視線を向けるが、向こうは向こうで論議を交わしていた。


「悠の隣は俺に決まりだな」
「そんなわけないだろ。ジャンケンで決めるべきだ!」
「いンや、ここは1つしか離れていない高校生同士が隣にいるべきだろ」
「いや、それなら長兄である俺が悠の隣だ」


そんなわけないだろっ!!とあーでもない、こーでもないと言い争っている3人を見ていると、何故だか呆れてしまう。 いい男が3人も揃ってなんで僕の隣を争奪するのかがよくわからないのだ。
イタリアに行っていた暁兄さんはどうだか知らないが、慶兄さんにも瑛にも彼女が出来たという話は聞いた事もない。 噂はあるけどね。慶兄さんは僕に彼女が出来るまでは自分も彼女を作らないと言っていたし、瑛は部活が忙しいと言っていた。 だけどこの2人、彼女こそいないもののセフレ(意味はよく分からないけど、「セフレ」だと名乗る女の人が言っていた)は数多にいるらしい。
視線を母さんに戻して、なんとか僕だけ写らないようにしてと懇願するが、母さんは極上の笑みを浮かべて「そんな事ダメに決まってるでしょう」と囁いた。


「なんでダメなの?」
「だって、いろんな人に『悠ちゃんはこんなに可愛いんです』ってアピールする絶好の機会じゃない。私がそんな機会を逃すわけないでしょ」


どこまでも我が道を行く母さんに本当に泣きそうになった。 雑誌というメディアを通して僕の事を紹介しなくても、既にある意味で近所でも学校でも有名なんだから、そこまでしなくてもという気持ちが沸く。 これ以上、僕を惨めにさせないでというのが本音だ。
だけどそんな僕の心情なんて知る由もない兄さんたちが、漸く終結を見せ始めた論議を纏めた。


「よし悠、決まったぞ。慶と瑛が悠を挟んで両隣に立って、俺が悠の後ろに立つ事になった。どうだ、これでいいか?」


全然良くないよ、僕の話聞いてなかったの!?っていうか、この嫌そうな顔見てよ!という言葉をすんでの所で飲み込んだのは、嬉しそうに顔を輝かす3人の顔を見たからだ。 子供に戻ったみたいに目をキラキラさせている3人を見ると、自分の事がどうでもよくなってきてしまう。気がつけば僕は無意識に顔を頷かせていた。
それから僕の気が変わってしまう前に、みんなに引っ張られてリビングへと連れてこられてしまった。






広いリビングにはたくさんの陽光が入るようにと、大きな窓が壁に嵌め込まれている。そこから入ってくる陽光をバックに2人の記者と父さんが向かい合うように座っていた。
少し無精髭の生えた男性と、薄茶の髪を綺麗に結い上げしっかりと化粧を施した女性が母さんの言っていた記者らしい。 その向かいに座る父さんは、さすがハーフらしく、高い鼻と彫りの深い顔、それから緑がかった瞳で僕たちを出迎えていた。
女性の記者は最初に姿を現した暁兄さんと瑛を見てうっとりと目を細め、それから慶兄さんを見てさらに相好を崩した。 しかし最後に入ってきた僕の姿を見てその顔をぴしっと固めてしまった。 男性の記者はさすがカメラマンらしくどのアングルから兄さんたちを撮ったら綺麗に写るかと品定めするような視線で舐めまわしていたが、やはり僕の顔を見て目を見開いた。


「ああ、良く来たね。紹介するからこちらに来なさい」


耳に残る優しい声音で父さんが僕たちを呼ぶ。僕はあまり気にしていない風を装って末席に腰を下ろした。


「お2人は城前(じょうまえ)出版の記者とカメラマンの方だ。こちらの女性は日下さんで、あちらの男性は松岡さんだ。お前たちも挨拶しなさい」


日下と松岡と呼ばれた男女がぺこりと頭を下げた。
父さんに近い順に兄さんたちが挨拶していく。


「次男の慶です」
「長男の暁です」
「四男の瑛です」


質の違う3人の声にうっとりとなっている女性の視線が不意に僕に注がれる。カシャカシャとなっていたカメラのシャッターを切る音も聞こえなくなった。


「三男の…悠です」


しんと静まり返った室内に、日下さんのわざとらしい空咳が響いた。 有難い事に松岡さんのカメラのシャッターが僕個人に下りる事はなく、レンズが物寂しげに下を向いていた。


「み、みなさん、美形でいらっしゃいますね」


苦しい言い訳がましくおほほと笑ってはいるが、ちらちらと寄越す視線が戸惑いを含んでいる事がわかる。


「あの…写真、よろしいですか?」


来た!
松岡さんがカメラを構えて父さんと母さんにお伺いを立てた。 ここで、雰囲気を察した父さんか母さんのどちらかが首を横に振ってくれる事を願ったが、どちらも気付かなかったらしい。満面の笑顔で「ええ、どうぞ」と返した。


「それでは……そうですね、佐藤氏を中心に、左に奥様が立って、2列目の右から瑛くん、慶くん、暁くん…と、悠くんという順にしましょう」


松岡さんの言う通りに並んでみると、「なるほど…」と思わず関心してしまった。
前に2人、後ろに4人という中途半端な並びだと、編集する際に僕を削る事は容易い事であるし、元モデルの母さんの後ろに立つと、 情けないが身長の足りない僕は男でありながら母さんに隠れてしまう。僕としては非常にありがたい配偶だ。
だがしかし、隣に立つ暁兄さんがすぐさま口出ししてきた。


「すみませんが、悠を中心にその両隣に慶と瑛、それから2列目の後ろの真ん中に俺、両端に両親、という構図にしてくれませんか?」
「え…いや、あの…」


松岡が困り果てたように構えていたカメラを思わず下に向けた。それに助け舟を出す形で日下さんが口を挟む。


「メインは佐藤氏なので、悠くんを前に出すというのは少し無理があるんですよ」
「母さんの後ろにいたら悠が写らないだろう?」


いや、僕は寧ろその方が有難いんだけど……
ぼけっと突っ立ったままの僕を残して、日下さんと暁兄さんの攻防が続いている。それに終着をつけたのが父さんの1言だ。


「なら、悠は私の膝の上でどうだ?」
「「えっ!?」」


僕の声と日下さん、それから松岡さんの声が重なる。


「そうしたら、メインは私のままだし、悠もはっきりと写るからな。どうだ、それが良いんじゃないのか?」
「まぁ、いい考えね。暁ちゃんもそれならいいでしょう?」
「うーん…。本当は俺の膝の上にしたいんだけど、まぁいいよ」


不承不承という様子で暁兄さんが引っ込む。僕としては有難くない提案だ。非常にマズい。 父さんの膝の上なんて目立つ事間違いないし、高校2年生にもなってそんな事するなんて恥ずかしいだろう。
だがしかし、1人用の小さなソファーに座った父さんが力強く僕の腕を引っ張って、バランスの崩れた体を支えるように自分の膝の上に座らせた。 体格のいい父さんの膝に座ると女っぽい華奢な僕の体がさらに小さく見えてますます情けなくなる。
日下さんも松岡さんも顔を見合わせ、どうしようかとアイコンタクトを取っている。 だがやがて見計らったように同じタイミングで溜息を吐くと、松岡さんがかっこいいカメラを手本のような素晴らしい構えでレンズを覗き込んだ。


「では撮りますので、みなさん笑顔で。こちらを見てください。………はい」


絶妙のタイミングでカシャリとシャッターが下りた。フラッシュが眩しすぎて思わず目を閉じてしまったが、きっとあまり分からないだろう。


「はい、ありがとうございます」


またもや同時に日下さんと松岡さんが礼を言った。普通、こういう場合予備のために後3、4枚は撮っておくだろうが、今回はそうじゃないようだ。 余程写りが良かったのか若しくは僕を撮りたくなかったか…。
どちらにしてもありがたい限りだ。
2人はぺこりと頭を下げて、日下さんはメモを取っていたらしい紙を丁寧に畳んで鞄の中に入れ、松岡さんはカメラを器用に分解して黒いケースの中へと仕舞って、 帰っていった。
残されたのは飲み干された2つのカップと名刺、それから雑誌の発売日の書かれた小さなメモ用紙だけだ。そこに記されている日付はいまから5日後。
クラスメイトになんて言われるかと、いまからどんよりと黒い雲を漂わせ始める。だがそんな僕に誰も気付く事なく、ゆっくりと腰をあげて各自の部屋へと戻っていく。 リビングを出る時、暁兄さんが1度振り向いて僕を手招きしたが、ゆるりと首を振ってその場から動こうとはしなかった。


| back | novel | next |