炎の檻 05




「ごめん」


ぽつりと小さな声で囁いたが、ちゃんと蘇芳の耳には届いたようだ。


「夾のせいじゃないって言っただろ?」
「でも蘇芳の事を疑っていたのは事実だし…」


窓の外は本格的な土砂降りの雨へと変わっていて、一面バケツをひっくり返したかのような大雨だ。 どんよりと厚く重く垂れこもった雲はまるで俺の心の中を表しているかのようだ。
たとえ蘇芳が許したのだとしても、俺が蘇芳を信じていなかった事には変わりはない。
どうすればいいのかと、視線を落として床に彷徨わせていると、蘇芳が俺に声を掛けた。その声は面白い事を思いついた子供のように、妙に生き生きとした声だった。


「つまりはさ、夾は俺になにか償いがしたいわけ?」
「う…ん。だって疑ったのは悪いと思ってるし……」
「じゃあさ、うーん……。俺が今から言う事をすべて聞くってのはどう?それで夾は償いをしたって事になるわけ」


ソファーに深く腰掛け、全体重を預けるように背凭れに寄りかかった蘇芳が、決していいとはいえない表情を浮かべながら俺を見ている。 こういう時の蘇芳はいらぬ事を考えているとわかっているのだが、蘇芳を疑ってしまった俺としては首を横に振る事が難しい。


「俺に出来る事か?」
「ああ、もちろんだ。というか、夾にしか出来ない事だ」


ますます怪しい。
だがしかし、俺の首は俺の頭が危険だというイエロー信号を出しているにも関わらず、気付けばこくりと頷いていた。
すると口角を上げた蘇芳がいきなりソファーから立ち上がり、カーペットの上に座り込んでいた俺を抱え上げた。


「うわっ、蘇芳!?」
「慎(まこと)」
「え?」
「慎って呼ばないと、優しくしてやらない」
「はいー?」


なんだこいつ、と訝しんでいるといつの間にか蘇芳の寝室へと運ばれていた。 カーテンの引かれた薄暗い室内に明かりを灯す事もなく、蘇芳が俺をベッドの上へと放り投げた。


「ちょっ、蘇芳ってば!なにすんだよ!?」
「夾、名前」


俺の顔の両脇に手をついた蘇芳が、じっと俺を見つめながら名前を呼ぶ事を促す。 だが、ずっと"蘇芳"と苗字を呼んできただけに、いきなり"慎"と呼べと言われても戸惑いが先に立つ。


「なんで、いきなり…」
「いきなりじゃない。俺はずっと夾って呼んできたのに、夾が俺の事名前で呼ばないのはおかしいじゃないか。それに俺の言う事は聞くんだろ?」


う…と言葉に詰まる。
なにも言わない俺に焦れたのか、蘇芳が俺の服に手を伸ばした。 肌寒いから、と少し厚めのTシャツを着て、その下から更にもう1枚着ていたのをものともせずに、直に肌に触れてくる。
少しずつ蘇芳の顔が近づいてきて、唇に触れるか触れないかの際どいキスを残して首筋に顔を埋めた。ちくりと刺すような痛みが走る。


「んっ、蘇芳……ぁっ、明日大学があるから…」
「名前呼んでくれたら」


執拗に首筋から鎖骨あたりに吸い付く蘇芳の顔を押しのけようとするが、俺の弱い部分を熟知している蘇芳に適うはずもなく、 へにゃへにゃと力の抜けた腕は蘇芳の首に絡みつくだけだ。


「すお……んぅ、ぁ…ま、ことっ」
「―――なに?」


漸く名前を呼んだ事に、蘇芳――いや慎の吸い付き攻撃が止んだ。俺の体をその長い足で挟み込んで上から見下ろすように俺の顔を覗きこむ。
だが「なに?」と言われた事で、今更「やめろ」とも言えない状態に俺はあるわけで、だがしかし俺の性格上「続けて」とも言えずに、ただ唇を舐めて慎を見上げるしかない。
そんな俺に慎は息を呑んで、少しだけ体を起こした。


「まったく…。誘っているって自覚がないんだからな。責めようにも責められないじゃないか」
「慎?」


あーあ、と溜息を吐いてそれでもなお服の中に侵入した手は出て行かない。


「夾、ちょっと背中起こして」
「なに?」


慎の言葉に無意識に反応して、体が起き上がる。その隙に、2枚のTシャツが俺の肌から離れていった。あまり日に焼けていない女のような肌が慎の眼前に晒される。
慎の右手が俺の胸の飾りへと触れた。ぴくりと反応する体を楽しむように、今まで首筋を舐めていた唇が開いたもう1つの飾りへと這わされる。 ほんの少し痛い刺激と、ぬめった生暖かい刺激が同時に俺の体を駆け巡る。


「あぁ、ぅんっ……っ、は」
「相変わらず、ここ、感じるんだな」


俺の胸に舌を這わせながら喋る慎のせいで、むず痒さが俺の体を支配する。
女でもないのに顕著な反応を示す俺の体を裏切らず、俺のモノは反応を見せ始め恥かしさに足をもじもじとさせる。
その俺に慎が気付いたらしく、にやっと笑みを浮かべながらもその部分に触れようとはしない。


「ん、慎っ!」


上だけ脱がされて下は着たまま、という中途半端な服のせいで、俺の下半身は息苦しいらしい。 ジーンズを押し返し始めた俺のモノが解放を強請るかのように震えているのが分かる。


「イきたいか?」
「あくっ、…ん、……き、たいっ」


慎の右手が摘んだり弾いたりと繰り返すせいで、上手く言葉を繋げない。 それでもなんとかして欲しいと慎に伝えるのに、慎の口は笑みを浮かべたまま冷たい言葉を吐き出したのだ。


「イかせてやりたいのは山々だが、今日はダメだ。もう少し我慢してもらおうかな」
「あぁ…なん、で…っ……はぁ…」
「お仕置き、かな」
「んぅっ」
「俺の事を疑った罰と、自分の誕生日を忘れていた罰、って事にしておこう」


"にしておこう"って!!悪いのは俺じゃないって言ったくせにぃっ。
恨みがましく慎を睨みつけるが、妙に似合う意地悪な笑みを浮かべただけで、再び胸の突起へと舌を這わせ始めた。
ぴちゃぴちゃと、濡れた音が俺の胸に顔を寄せ舌を這わせた男の辺りから聞こえてくる。ずっと胸を弄られたせいで赤く色付きすぎ痛いくらいだ。
ジーンズに阻まれて身動きの取れない俺のソレも先程から解放を強請っている。


「…ン…ぁっ…」


達する事の出来ないもどかしさに、つと涙が込み上げる。


「ま、こと……慎っ…」


板についたわけでもないが結構呼ぶ事に照れを感じなくなり、何度も慎の名を呼ぶ。顔を上げた慎が俺の頬を伝う雫を舐め取り、そっと下肢に触れた。


「あぁっ」
「……イきたい?」


先刻と同じ質問を繰り返した慎の言葉にこくこくと頷く。ぎゅっと慎の首に抱きついて、俺から強請るように舌を絡めて唇を奪った。
理性を飛ばしかけた俺のそれになにを感じたのか、慎は口の端に笑みを浮かべてちゅっと目元に口付けると、 ジーンズと下着を一気に下ろして勃ち上がった俺のソレを直にそっと触れた。それだけでイきそうになるのに、まだ許さぬかのように根元を締め付けた。


「…あっ……んで……」
「まだダメだ」
「やぁ……もっ…んぅ」


本気で意識を飛ばしそうだ。
それでも慎はまだまだ余裕があるのか、憎たらしい程に笑みを浮かべた顔を俺に向けた。


「なぁ、夾。俺がお前の事好きだってちゃんと分かっているか?」
「はっ、あ……な、に…っ?」
「確かに今までの俺の行動を見てきたら疑う気持ちも分かる、だけど俺がお前の事好きなのは嘘じゃないんだからな。笑えるくらいに惚れてるんだ」


照れ隠しのように慎の唇が俺の唇を掠った。
それからゆっくりと俺の股間へと顔を近づけたかと思うと、唐突に濡れた感触が俺を襲った。 先端を突付くような動作をするそれに、ようやくそれが慎の舌なんだと気付いたのは、もう限界も近い頃だった。


「あぁ!!……ちょ、んっ…離してっ」


先走る蜜を掬い取った慎が、さらに奥にあるものに手を触れた。必死に押し返そうとする俺の腕をものともせずに、慎の繊細な指が俺の中に入ってくる。
ほぐすようにゆっくりと出し入れされる慎の指が1本増え、2本増えと計3本になり、それぞれがバラバラに動いている。 それがある1点を掠めた時、俺の体が一際大きく跳ねた。


「んぁ……あ、そこは…」
「夾のイイ所」
「…っ、も……だめだ、てっ…」


そこだけに重点を置いて責め続け、なおかつ俺を嬲る口と舌の動きは止めないだけに、若い俺の体は呆気なく登りつめる。


「あ―――……っ」


慎の熱い口腔に、自らの欲望を吐き出す。ごくりと慎の喉が鳴った。いつまで経ってもその行為に慣れを示す事はない。 決しておいしいとは言えないそれを嚥下する慎を目元を赤く染めて見つめる。


「さて、と…。今度はこっちを戴こうかな」
「んぁっ」


ぐるっと指を回すように掻き混ぜて、十分にほぐれた事を確かめた。自然に濡れるわけもないのに濡れた音がするのは、慎が掬い取って塗りつけた俺の先走りのせいだ。
おかげで大した痛みもなく慎の指を受け入れている。
止まる事を知らない快感が再び俺の背を駆け抜け、達したばかりの俺のソレもすぐに気を取り戻し始めている。
それを確認したのかどうかはわからないが、慎が指を引き抜いた。物足りなさを感じて収縮を繰り返すそこにすぐに熱いものが押し付けられる。 それが慎だと気付いたのは、熱と太さと、目の前に迫る切迫した表情の慎を見た時だった。


「―――っ、あぁ」


入り込んでくる熱のあまりの熱さに、思わず慎の背中に爪を立ててしまった。途端に慎の眉が顰められるが、逆にお返しとばかりに、鎖骨あたりに噛み付かれた。
あーあ。明日は大学の授業があるのに…なんて思っている余裕などなかった。全てを収めた慎がすぐに律動を開始したからだ。 先程指で攻めた所を再び突き始め、俺はまさしく息も絶え絶えだ。
声を出し過ぎた翌日のように小さく掠れた声しか出ない。慎の口からは何度も短い息が定期的に漏れるだけだ。 だがしかしその表情がかっこいい色男そのもののように艶かしい。


「あ、やぁ……んんっ…」
「……っ…」


俺の膝を抱えた慎がさらに大きく脚を広げさせ、もっと深く繋がりを求めてくる。それを受け入れるように俺もほんの少し力を抜いて慎に抱きついた。
俺のモノが慎のお腹に擦れて気持ちいいぐらいに揺れている。慎も限界が近いのか、息を荒くして腰の動きを早めている。


「…っ、あぁ……」
「くっ……」
「ああぁ――――」


達したのはほぼ同時だっただろうか。
慎の顔を見ようにもあまりの良さに意識でも飛んだのか、ゆっくりと瞼が下りてくる。慎の首に絡め付けた腕の力も抜け、ぱたりとシーツの波に沈んだ。






ほら、と手渡されたのは細長い箱だった。
苦労して探したんだからと苦笑しながら言う慎に、照れながらも気怠い体を起して受け取った。






お馴染みで定番の顔が、パスタを口に運んでいる俺の顔をじっと見つめている。けれどいつもの陽気な表情ではなく翳りを帯びた、というか呆れた感じの表情だ。 その瞳が時折、左手の手首に嵌められた真新しい腕時計へと注がれる。


「…腕時計ね」
「なに?」


ぼそりと呟いた森野の声が聞き取れなくて聞き返すが、森野は軽く頭を振って頬杖をついた。その瞳がじっと一点に注がれているのを見て、つられてその方向を見る。
篠宮がいた。彼女も俺の方に気づいたのか目尻を吊り上げて俺の方を睨んでいるが、以前のようにまでは気にならない。 彼女の方もすぐにふいと視線を逸らせて遠く離れた席についた。
その様子を側で見ていた森野が、僅かに苦笑するのがわかった。


「森野?」
「誤解、ちゃんと解けたんだ」
「え?」
「夫婦喧嘩は犬も喰わないとかなんとか言うしさ。男同士の嫉妬は醜いねぇ」


嫉妬?と訝しむ俺に、森野があれ?と首を傾げる。


「嫉妬してたんじゃないの?」
「誰に?」
「篠宮さんに」
「なんで?」
「なんでって……」


おいおいとぼやく森野を不思議な目で見る。なんで俺が篠宮相手に嫉妬しなきゃいけないんだ、というのが今の心情だ。
綺麗に食べきれないパスタの具が皿の上に残っている。
森野が意地汚くそれを拾って口に運んだ。


「東雲はさ、蘇芳が篠宮さんといる所を見てどう思っていたわけ?」


ふと昨日のショッピングモールでの光景が思い出される。腕を絡めながら歩く2人の姿が。


「………、別に」
「なに今の間」
「なんでもないよ」


ふぅ、と溜息を吐いて頭を掻く森野が見える。


「じゃあさ、例えばだよ。蘇芳が篠宮さんとホテルの前にいる姿見たら、どうする?」


胸ポケットから取り出した煙草に火を近づけながら森野が聞いた。煙草独特の匂いが風に乗って流れてくる。
その煙の中に、ホテルの前で腕を組んだ2人が見えたような気がした。笑い合って、白い肌に顔を埋める蘇芳。


「…吐き気がする。でも人目を憚らずに腕を組める篠宮が羨ましいよ」


男同士で腕を組んで街を出歩いたり、ホテルの前なんかに立っていると必ず後ろ指指されるもんだ。そう考えると、女の身である事がとても羨ましい。
ふわっと換気扇のある方向に煙を吐き出した森野が、にやりと笑った。


「立派な嫉妬じゃないか」
「嫉妬?こんなのが?」
「そうさ。妬みなんて誰もが持ってるものだよ。東雲の場合、自覚があるかないかの問題だろうがな」


短くなった煙草を灰皿に押し付けて消した。


「でも嫉妬ってうざくないか?」


疑問に思って森野に尋ねた。
少し驚いた顔をした森野が、すぐに笑って何故と聞き返した。


「テレビとか見てるとそう思うから。いちいち彼氏の女友達にまで嫉妬する彼女って俺ですらうざいとか思うし。蘇芳もそう思ってるんじゃないかって……」
「んー、どうだろうな。焼かれてうざいって思う人もいるだろうし、焼かれて嬉しいって思う人もいるだろうな。多分間違いなく蘇芳は後者だろうな」
「そんな事分かるのか?」
「だってあいつ、俺にも嫉妬してるだろ?」
「そういえば……」


――最初に森野に会った時、嫉妬したとか言ってなかったっけ?


頭の奥に仕舞いこんでいた記憶が、束の間蘇る。


「してるだろ?」


再度尋ねてきた森野に戸惑いながらもこくりと頷く。


「そういうやつは大抵、焼いて欲しいって思ってるんだよ」


2本目に手を伸ばした森野が、くいっと顎をしゃくった。その先にいたのは、顔を曇らせた慎だ。こっちに来いと手招いている。


「ほら、行けよ。あの蘇芳の冷たい視線に晒されるのは肝が冷えるんだ。まだ死にたくないし。……そうそう。蘇芳に、『俺、篠宮に焼いたんだ』って言ってみろよ。 面白いのが見れるはずだぜ」


冗談めかして肩を竦める森野に不器用ながらも礼を言うと、トレイを持って返却口へと戻し、入り口の方で佇む慎の隣に並んだ。






その後、「俺って、篠宮に焼いていたんだ…」ってバカ正直に森野の言葉を繰り返した俺に、嬉しそうに頬を緩めた慎が襲い掛かってきたのは、 記念にもならない誕生日の思い出だ。


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