雨の中 01




雨が降りしきる中、駅から傘をささずにとある一軒の居酒屋へと足を踏み入れた僕は、途端に纏わりつく油と酒の匂いに眉を顰めながら友人の姿を探した。
今日は大学の歓迎会と称したサークルの飲み会らしい。今年の春に大学に入学してから早1月。慣れ始めた頃に行う歓迎会はちょうどいい頃合だろう。


「一樹(かずき)!!」


座敷からひょっこりと顔を現した友人の透夜(とおや)が僕の姿を認めて手招いている。
服についた雨粒を申し訳程度に払って、ほかの座敷よりも一際賑わっている座敷へと上がった。
時間的にまだ早いのか、全員で15、6人いるサークルのメンバーの10人しか来ていない。 大人数であるから隣のテーブルとさらにその隣のテーブルを貸しきって、店に迷惑なのか有難いのかわからないけど、とりあえずみんな酒が入っていて大声で笑い合っていた。
肩に下げていた鞄を隅に置いた僕は、透夜の隣へと腰を下ろした。


「遅かったじゃないか」
「ごめんごめん。途中で忘れ物した事に気付いちゃってさ。1回家に戻ったんだ」
「どーせ、ドジな一樹の事だから財布か定期でも忘れたんだろ」
「う゛……なんでわかったんだ」


けらけらと僕のドジな行為を笑う透夜に、僕は恥かしく思いながらも頬を膨らませた。
透夜とは大学に入ってからの友達だけど、何故か高校から同じ親友みたいな感じがする。 そう思っているのは僕だけじゃないらしく、透夜もなにかと僕に構って2人してばかやったりしている。


「もう!そんなに笑わなくてもいいじゃないか」
「いや、なんかカワイーなって思うと笑いが止まらなくて」
「嬉しくないやいっ」


目尻に涙まで浮かべて笑う透夜に、非力ながらも腕を振り乱して頭を殴った。


「おーい、一樹。お前も早くなんか注文しろよー。でないとお兄サマがお前の金でいろいろと食っちまうからな」
「あっ、はーい」


1つ離れたテーブルで眼鏡を掛けた先輩がふざけた口調で注文を促した。
前日までに1人当たり1万円の食費を回収されたので、この場合どんどん注文しなきゃ損だ。
咄嗟に近くにあったメニューを広げてまずはとりあえず、飲み物を注文する事に決めた。


「うーん…やっぱここはコーラにしとこうかな」


何種類もあるドリンク覧を見て奮闘する僕に、隣にいた透夜が思わず噴出した。


「ぶっ!!…コーラってお前ねぇ。ここは居酒屋だぞ。酒を注文しろ、酒を」
「僕まだ18歳だよ?未成年にはお酒は売りませんって書いてあるじゃないか」
「バレねぇって。……まぁ、お前は20歳になってても高校生と間違われそうだけどね」


1度ちらりと僕の顔を意味ありげに見た透夜が馬鹿にするように鼻で笑った。


「むき――っ!透夜に言われるとまじでむかつくっ。―――って、透夜が飲んでるのお酒じゃん!」
「ぴんぽーん」
「なにを暢気に…」
「まあまあ、お前も飲め。すいませーん、ナマ1つくださーい」
「ちょっ、透夜!」


僕の手からメニューを奪って僕の頭越しにその他いろいろなものを注文していく。
けれどまあ、僕が食べれるものばかりなので特別文句も言わないのだが…。


「あれ、春野先輩は?」
「あ?」


きょろきょろと辺りを見回して、僕は1人の先輩の名を呟く。
春野先輩とは僕の所属するサークルの花形だ。モデルばりの長身とそれに見合ったルックスで女性の注目を集めている。 女性だけでなく、男でも彼に抱かれてみたいと願う人はいるだろう。
かく言う僕もその1人だ。
大学構内を散策している間に知らない所に迷い込んだ僕を案内してくれたのが春野先輩だった。 このサークルに入ったのだって、本当は春野先輩と一緒にいたいがためだ。
先輩が早く来ないかとちらちら入り口に視線を向ける僕に、隣にいた透夜が喉を震わせた。


「ほんと、春野先輩が好きなんだな」
「うん」


店員さんが僕の顔を胡散臭げに見ながらテーブルの上に置いたビールを、少し躊躇いながら飲んだ。 途端に口中に広がる苦い味に顔を歪め、それでも間髪入れずに笑顔で頷く。


「だってかっこいいんだもん」
「へーへー」


透夜には、僕が春野先輩を好きなことを話した。というよりも無理矢理吐かされた、という感じだ。
男同士で…なんて嫌悪されるかも知れないと思ったけど、どういうわけか透夜は僕を見捨てなかった。
理由と問うと『…気持ちが分からないってわけでもないから』なんて意味不明な言葉をくれたけれども、とにかくそれから透夜が僕を構うようになったのは確かだ。
さっき透夜が一気に注文した数々の品が並べられていく皿を、美味しそうなものから手をつけていく。 その横からひょいひょいと自分の好きなものだけを平らげていく透夜を睨みつける。


「透……」
「雅也(まさや)!こっちだ」


突然聞こえてきた春野先輩の名前に、僕は隣の透夜を睨みつけることも忘れて、音がなるんじゃないかってくらい素早く首を巡らせた。


「あ…」
「悪いな。バイトが少し長びいてしまったんだ」
「いやいや、気にするな。雅也が来るだけで、女どもが喜んでこの場が盛り上がるからな」


眼鏡を掛けた先輩が春野先輩の肩を叩きながら、開いた席へと案内した。
テーブルは違うけど、斜め向かいに座る春野先輩とちょうど向き合う形となってしまった僕は、それだけですっかり上がってしまい、 彼と目を合わさないように自然を装って体ごと透夜に向き直った。


「なにやってんの?」
「少し、恥ずかしくて…。透夜の顔見とくよ」
「憧れの先輩の顔でも見て血圧でも上がったのかー?」


にまにまと頬を緩めながら耳元に唇を寄せて囁いた透夜の言葉に、さらに真っ赤に顔を染めた僕は誤魔化すように近くに置いてあったビールを一気に呷った。


「お、男気に溢れているぞ、一樹」
「きゃー、一樹くんかわいー」
「ほら、私のもあるから」


そう言って差し出してくるグラスをさらに呷って、泡のついた口元を拭う。初めて飲むビールにくらくらっとし始めた頃には既に、他人の顔まで判断できないほどだった。
先輩たちがかわいいかわいいと連呼して頭を撫で擦るままに任せ、ずるずると透夜に寄り掛かりながら僕は重い瞼を閉じた。
春野先輩のことなんてすっかり頭の中から消え落ちていた。






喧騒の中、うっすらと目を開けてみると僕を覗き込んでいる透夜の顔が見えた。


「起きたか?」
「んー」


頭が痛くて思考回路も衰えたのか、透夜の膝を枕代わりにして寝ている事にも気付かなかった。


「一樹、もう帰るんだけど。おい、起きろって」


ゆさゆさと透夜が揺さぶるけれど、酔い潰れてしまった僕には現状をさらに悪化させる事にしかならない。


「かーず……」
「俺が送って行こう」
「えっ!?」


透夜の驚いた声が聞こえたと同時に自分の体が浮くのがわかった。 けれどすぐに霞み掛かった靄(もや)のようなものが僕を再び夢の世界へと 誘(いざな)った。






耳元でピピピッと目覚ましの鳴る音がする。
布団の中で大きく伸びをしながら音のする方へ手を伸ばして時計の頭を叩いた時に、ふと違和感に気付いた。


――僕、目覚ましなんて家に置いてあったっけ?


途轍もなく嫌な予感がしたけれど、思い切って目を開けた。


「え……」


ふかふかの大きなベッドの隅の方で丸まって寝ていた僕だったけど、見覚えのない小奇麗な部屋を見渡して一気に顔を青褪めさせる。


「ここ、どこ……?」


壁にはなんかよくわからないけどサッカー日本代表のポスターが貼られていたり、CDやMD、DVDやらが綺麗に並べられてその背を僕に向けている。
透夜の部屋でもないし、泊めてもらうほど親しい友人もあまりいない僕は、居場所を確認しようとカーテンを引いてさらに唖然とする。


「まだ、夜?」


マンションらしき部屋の窓から見える外の景色はいまだ真っ暗で、細い道を車が通るなんてことは今の時間帯ない。 それに郊外なのか目立つ建物がなく、自分の居場所すらよく分からない。
がちゃりと部屋の扉が開く音がして、僕は恐る恐る振り返った。


「あ…、せんぱ…」
「気がついたのか?」


なんでここに僕がいるのか、とか、なにしてるんだとかいう質問もないまま、風呂上りらしき春野先輩がタオルを首に巻きながら僕に尋ねた。


「あの、なんで先輩がここに?」
「この場合、『なんで僕がここに?』っていう質問の方が正しいと思うけど……。ま、いーか。ここは俺ン家」
「は、春野先輩のですかっ!?」
「ん」


部屋に置いてあった冷蔵庫から缶ビールを1本取り出して、ごくごく飲んでいく先輩を見て思わず惚れ惚れと見惚れてしまった。
風呂上りで少し湿った体とか、ビールを嚥下するたびに動く喉仏とかにどことなく男の色気みたいなものがあってドキリと心臓が跳ねた。
じっと見つめている僕に気付いた先輩が、その缶を僕に寄越した。


「飲みたいなら飲め」
「えっ、い、いいです!お酒はもうこりごりですから」


途中から意識がないから多分潰れたんだろうと自分で悟った僕は、当分お酒は飲まないと誓った。
だから少し勿体無い気がするけれども、握らされた缶を先輩に返した。
それからふと自分の体を見下ろした。酔っていてもあれからなにも食べていないらしく、食べカスとかが服についているって事はない。 けれどその分お腹が減ったようで、先輩の前だというのに僕のお腹が豪快に鳴った。


「ぷっ……くっ、くくくっ」
「せ、先輩っ」


好きな先輩を前にして鳴ってしまったお腹を押さえて頬を膨らます僕に、髪を撫でた先輩がちょっと待ってろと声を掛けた。


「?」
「腹、減ってるんだろ?なんか作ってやるよ」
「ええ!?い、いや、いいですよ!その、迷惑だろうし……」


って言ってる側からもう1度お腹が鳴るし……。
はぁー、情けない。
必死に笑わないように頬をぴくぴくさせている先輩を恨めしげに睨みながらも、ちょっぴり距離が縮まってよかったなと嬉しがっていたりする僕だ。 これぞ怪我の功名というやつだろうか。ちょっと違うかな。
部屋を出てキッチンへ向かった先輩の後を追って僕もキッチンが見えるリビングへと移動した。
外は相変わらず真っ暗で、しとしとと雨が上がらずに今もなお降っている。窓際に掛けられた時計を見ると4時をさしていた。


――先輩の手料理を食べたら、帰ろう。


あまり長居しては迷惑だろうし、先輩だって泊めるとは言ってなかったから、帰った方がいいだろう。
チン、と電子レンジが時間を告げ、先輩がキッチン手袋を片手につけたままリビングに姿を現した。
その姿があまりにも可笑しくて、思わず口元が緩んでしまった。


「なんだ?」
「いえ、なんか先輩ってかわいーなって思って」
「はぁ?ンな、身長180cmを越す男にかわいーって普通言わないだろ。かわいーってのはな、お前みたいなやつを言うんだよ」


ぽんぽんと頭を軽く叩きながら僕の前に料理を出した先輩に、かっと首まで茹蛸状態になるのがわかった。
透夜に言われてもただからかわれてるだけとしか思えなかった言葉も、先輩の口から出ればこんなにも嬉しいものだとは知らなかった。


「か、からかわないでください」
「からかってねーよ、ほら食え」


食べ物は喋らないけど、熱いから気をつけてねとハートマークまで語尾につきそうなほどアツアツのスパゲティをフォークに巻きつけて冷ましながら口に運んだ。


「ん、おいしー」
「そうか?冷凍だぞ、美味しいわけあるかよ」


先輩が作ったものならなんでも美味しいよ、と口を突いて出てきそうな言葉を麺と一緒に飲み込んだ。
先輩はこんな容姿だし、女性には困らないだろう。わざわざ僕がここで「好きです」なんて言って、先輩に軽蔑されたくない。 それよりかは、卒業までずっとただの先輩後輩の関係でいたい。


「先輩って、カノジョとかいないんですか?」
「―――なに、急に」


あれ…?触れちゃいけない話だったとか?
先輩の顔に不機嫌そうな皺が寄ってくる。


――もしかして最近彼女と別れちゃったとか、かな?


口元に浮かべていた笑みも消して、不機嫌さを隠しもしない先輩に焦った僕は慌てて話を打ち切ろうとした。


「少し気になって。先輩ほどかっこよければ、女の人のほうがほっとかないかなって思って…」


エヘヘーと可愛く舌を出してもだめだった。
先輩の機嫌はどんどん悪くなるばかりで、いつの間にか睨みつけるように僕を射止めていた。


「ぼ、僕、帰りますねっ。いつまでも先輩の家にお邪魔しちゃいけないし。えと、ごちそうさま!!」


居酒屋に持っていった鞄は見掛けなかったからきっと透夜が持ち帰ってくれているだろう。
半分残したスパゲティもそのままに、引き攣った愛想笑いを浮かべて頭を下げて玄関に向かおうとした。けれど、その途中で腕を掴まれた。


「せん、ぱい……?」
「誰が帰すって言った?」
「せっ!……んぅ…―――っ!?」


だんっとリビングから玄関に続く廊下の壁に叩きつけられた僕は一瞬なにが起こったのかわからなかった。
不機嫌そうに苛々した顔が近づいてきて、避けようと思う間もなく湿ったなにかが唇に触れた。


「はっ…ぁ……」


息ができなくて口を開いた隙に、さらに得体の知れぬものが侵入してきた。
侵入者は僕の口の中を縦横無尽に動き回り、唇にそっと触れたり僕の舌に絡まったりと忙しない動きを繰り返した。
酸欠で足ががくがくと震え、先輩の腕に縋るように床にずるずると座り込んだ。


――今の、キス…?なん、……で?


濡れた唇に手を当ててゆっくりとなぞる。
先輩の意図がよくわからなくて、呆然と先輩の顔を見上げた。


「なんで、キス、したんですか……」


明かりを背にしているせいか、僕の前に立ち塞がる先輩の表情は見えないけど、小さな舌打ちが聞こえた。
ぐいっと手を引っ張られて、抱きかかえられるようにさっきまで寝ていた先輩の部屋へと連れ込まれた。


「なに、するんですか」


体が恐怖で震えないように、ぎゅっとしっかりシーツを握り締め先輩を見返す。
それが逆に落ち着いた様子に見えたのか、ふっと鼻で笑った先輩が僕の上に圧し掛かってきた。


「ナニって、ナンだろうねぇ」


もう1度深くキスを仕掛けてきて、先輩の大きな手が僕の体を這い回り始めた。


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