皇蓉高校物語 学祭編
皇蓉(こうよう)祭、とでかでかと掲げられたアーチ型の看板の下を多くの人が行き交っている。
県立の男子高校である皇蓉高校の学祭である今日は、近くの町からたくさんの見物客が訪れていた。
女っ気のない男子校であるため、この日に熱をいれて彼女をゲットしようと企む輩も多くいる。
正門でクラスのビラを配りながら見物客を物色している2人の男もそれを狙っていた。
「3年5組で女装喫茶やってまーす」
「よろしくお願いしまーす」
にっこり笑ってビラを配る2人は、きりっとした容姿のおかげで道行く女性の視線を浴びている。だが、2人が振り向かないのはその中にタイプの女性がいないらしい。
「なぁ、喬(たかし)」
「なんだよ、洋介」
「俺、疲れた…。タイプの女もいねぇしこのままフケようぜ」
「それもそうだな」
喬と呼ばれた頭脳派の男がくるりと校舎に足を向けた所、洋介に「おい」と呼び止められた。
「んだよ」
苛立たしげに振り向くと、視線を一点に集中させた洋介がいた。不審に思いその視線の先を追うと……
「――――」
思わず2人が見とれるほどの美少女が立っていたのだ。
見知らぬ土地に立った旅人よろしく、きょろきょろと辺りを見回している。
ふわふわとした栗色の髪が太陽に反射してきらきらと輝き、大きな瞳は困ったようにすがめられている。
回りの女性より群を抜いて高いその長身は、洋介や喬より少し低いくらいだ。胸があまり目立っていない気がするものの、それを除けば見事に2人のタイプだった。
「おい、洋介」
「ああ、行くか」
目配せして頷き合い、少女のもとへと歩き始めた。
少女は自分が周囲の視線を浴びている事に気付いていないのか、いまだ困ったように立ち尽くしている。
ポケットから携帯を取りだし誰かに連絡を取ろうとした時、洋介と喬が声を掛けた。
「こんにちは、おじょーさん」
親しい友人のようにぽんと肩を叩きその顔を覗き込む。
近くでみるとさらに美人度が増すな、と思っていると少女の首がかわいく傾げられた。
「おじょーさんって俺の事?」
「そうそう、君の……って男!?」
ぎょっとしてその顔をまじまじと見つめると、むすっとしたように顔をしかめられた。洋介が慌ててその場を取り成す。
「ごめんごめん。君があんまりにもかわいかったもんだから…」
「男がかわいいっていわれても嬉しくもなんともないんだけどね」
「う゛……。そ、そんな事より、君、誰か探してるの?」
洋介が話を逸らそうと手に握られた携帯を指差して言う。
途端に少年の顔がはにかんだ笑顔になる。
「うんッ。そうだ、はーちゃん知らない?この学校の人なんだけど」
「「はーちゃん?」」
「そう。俺のかわいい恋人」
「「!」」
照れたように頬を押さえる様子は、男だという事を差し引いてもかわいい。
だが2人が反応したのは別の事だった。
探しているのは恋人→恋人はこの学校に通っている→この学校は男子校→つまり、恋人は男!?
――くそーーっ、羨ましいぜ。こんなかわいい少年が恋人とはッ。
――まったくだぜ!俺の知り合いなら殴ってやりたいくらいだ。
ふるふると震えている洋介たちを不審に思った少年がつんつんと2人をつつき、振り向いた2人に笑顔を向けた。
「俺、常磐(ときわ)。一緒にはーちゃん探してくれない?」
――名前までかわいい!
と思ったのは2人だけではないだろう。
笑顔を向けられた2人は頬を染めながらこくこくと頷いた。
真ん中にアイドル顔負けの常磐、両端にモデルのような洋介と喬を引き連れた3人組は、ものすごく目立っていた。
どれくらいかというと、通行人が携帯を取り出して写真を撮るほどだった。
「はーちゃんってさ、名前なんてゆうの?」
「どんな人?」
「んーと、名前は葉月。背はね、2人くらいかな。それで眼鏡掛けてて、笑うととってもかわいいんだよね〜。あっ、はーちゃんには手ぇ出さないでよ」
突然低くなった声に体を震わせ、いやだな〜とやけに乾いた笑い声をあげた。
「だ、出すわけないじゃん」
「そう?それはよかった。昨日もさ、ずぅ〜っとベッドにいたから、はーちゃんの事が心配で心配で」
「へー。常磐ちゃんも体辛くないの?」
さりげなく腰に手をやり、ゆるりと撫でる。その事に気付いていないのか、手が振り払われる事はなかった。
「俺?俺は平気だよ」
「そのはーちゃんってやつはベッドの中じゃそんなにがっつくタイプじゃないみたいだな」
「おい、洋介」
にやにやと下品な笑みを浮かべる洋介を咎めるように、喬が名を呼ぶ。
その内容は確かに下品なものであったが、常磐はまた首を傾げた。
「がっつくのはどっちかといったら俺の方かな。はーちゃんが寝かしてって音を上げるまで離さないから」
悪気のない天使の顔で微笑まれて前のめりになりそうな2人だ。手で顔を押さえて、足は止まっている。
「くーーーっ!こんなかわいい子に奉仕されて、途中で寝ちまうとはなんて不届き者なんだ!」
「俺も奉仕されてーッ!!」
「……ふーん」
「なにその冷たい目」
拳を作って熱く語る男2人をどこか冷めた目で見る常磐に喬が突っ込む。
それでも常磐は2人を上から下まで眺め、それから人それぞれだよねと呟いた。
その言葉をしっかりと聞いていた喬がなにがと尋ねてくる。
「いや、洋介と喬がそんなナリしてツッコまれる方だなんて思わなかったな、と思ってさ」
「「は?」」
2人の言葉が見事にハモり、それから同時に吹き出す。
「いやいや、それはないでしょ。俺らはどっちもツッコむ方よ」
「え、だって奉仕されたいって言ったじゃん」
「うん。だから、常磐ちゃんに奉仕………」
3人の間に沈黙が下りる。
いまだ廊下で立ち止まっている3人は、人の足をとどめているとも知らず、さらに洋介と喬の顔にはひきつった笑みが浮かんでいる。常磐の顔は常に笑んでいる。
「ま、ままままさか、常磐ちゃんがツッコむ方だとか……?」
洋介のどもった言葉に常磐が笑顔で頷いた。喬はあまりのショックに言葉もないようだ。
そこらへんの女が泣いて負けを認めるような美少女のような常磐が、男に突っ込む立場だったとは…、
と言葉にすると猥褻罪でしょっぴかれるような事を胸の内で思っていた2人は、嬉々として吐き出された常磐の言葉に今度はなんだと、
睨み付ける勢いで常磐の視線を追って振り向く。
そこにいたのは、洋介たちの隣りのクラスを受け持っている生徒にも人気の坂下がいた。
「坂下じゃん」
「先生に向かって呼び捨てはないんじゃないか、呼び捨ては」
苦笑しながら近付いて来た坂下は、長身の2人に隠れるように立っていた常磐の姿を認めて足を止め、次いでみるみる顔を蒼褪めさせた。
「と、常磐……。な、んでここに――?」
知り合いだったのか?と困惑する喬の頭の中に、そういえば…とある事が閃く。
「やっほー、はーちゃん」
ぎゅっと人目を憚らずに常磐が坂下に抱き付く。うっと詰まったような声が坂下の口から漏れた。
「そういえば、坂下の下の名前って葉月だったな」
「まじ!?」
忘れていたのか、もとから坂下に興味を持っていなかったのか、洋介が驚きに声をあげた。しかし、洋介が驚いたのはそれだけではない事を喬は知っていた。
男子校であるせいか、かっこいい男はかわいらしい男から、かわいい男はかっこいい男から常に告白されていた。
洋介や喬にもひけをとらないであろう坂下は、かわいい男に告白されている側だった。
それが、常磐のようなかわいらしい男にアレコレされている立場なんて、この世も恐ろしくなったものよと驚いているのだ。
洋介の驚きをよそに、常磐はまだ坂下の腰に抱き付いたままだ。
「常磐っ、離れろ!」
「いーや」
坂下が必死になって常磐を離そうとするが、逆に常磐がさらにくっつきバランスを崩した坂下が壁際に追い詰められた。
「と、常磐?」
「ねぇ、はーちゃん。なんで今日学校行ったわけ?」
「なんでと言われても、仕事だし……」
視線を彷徨わせて、喬と目が合った坂下が常磐を引き離せとアイコンタクトを送っている。
「目が覚めた時に恋人がいない虚しさがはーちゃんにはわかる?」
「ちょっ、常磐!ここ学校だって」
首筋に唇を押しつけてこようとする常磐を慌てて押しとどめる。なんといったって学校だ。生徒の目は今や2人に注目していた。
「そんなの関係ないよ」
「っ、ん…とき、わっ!!」
廊下という衆人環視が行き交う中、常磐が坂下の首筋にきつく吸い付いた。ちゅっ、という音ともに坂下の口から喘ぎ声とも取れる声が漏れる。
皇蓉高校の生徒は普段、坂下のかっこいい面を見ているだけに、誰かの腕の中にいる坂下に新鮮味を覚え、呆然としながらもその光景に魅入っていた。
首筋に唇を落として気をよくした常磐が、首を伸ばして少し高い位置にある坂下の唇を狙う。
真っ赤になった首筋を引き寄せ、坂下が強く目を瞑っている事をいいことにまずは軽く口付けた。
「常磐、やめっ!……、んっ、」
坂下が口を開いた時を見計らって、するりと常磐の舌が入り込む。
下の手は常磐の背中に回り、必死に引き離そうとするが徐々に力は失われていき、今はただ足が崩れてしまわないように常磐にくっついている。
長い口付けが漸く終わる頃、余す所無く顔を染めた坂下が口許を押さえて恥ずかしさに耐え切れず床にずるずると座り込んだ。
その様子をずっと見ていた周囲の人もまた顔を赤くして目を逸らそうと試みていた。
「さいっあく……。俺…明日から学校行けないだろ」
ぼそぼそとした坂下の声に、どこか満足した常磐の声が続く。
「そしたら俺が養ってあげるよ」
「そんな事言って親の脛囓るくせに」
「大丈夫。親から独立して会社立ち上げようとしてるし。……はーちゃん」
座り込んだ坂下の前に腰を下ろして視線を合わせ、さらに口付けようとする常磐を、今度は坂下ではなく洋介が引き止めた。
「邪魔しないでよ、洋介」
きっときつく洋介を睨む。
タイプの子に睨まれるという大損な役を買って出てしまった洋介だが、深い溜め息を吐いて坂下と常磐に聞こえるくらいに声を落として耳元で囁いた。
「仲がいいのはわかったからさ。いい加減、色気振りまいている坂下をどうにかしないと悪い虫が着くかもしれんぞ」
「いいいい色気だって!?」
なにをばかな、と笑い飛ばそうとする坂下とは違い、真剣に悩む常磐に口を寄せて喬も囁く。
「坂下に悪い虫が付かないようにこんな所でやったかもしれないけど、意外と逆効果みたいだよ」
2人の言葉通り、先程の濃いキスで目許が潤み、少し緩んだ首元とその上に付く情事の名残のような跡にほとんどの生徒と入場客が釘付けだ。
その事に気付いた常磐が突然、ぽんと手を叩いて2人を見遣った。
「「な、なんだよ」」
「今日から洋介と喬をはーちゃんのボディガードに任命する」
「「「はぁ?」」」
反応したのは洋介と喬だけではなく、坂下もなにを言い出すんだこの馬鹿はとばかりに常磐を見る。
最初に立ち直ったのは流石とも言うべきだろうか、伊達に優等生面しているわけじゃない喬だ。
「へー、いいわけ?そんなに大切なはーちゃんのボディガードを俺らに任せて。言っとくけど、俺らが手を出さないって決まってるわけじゃないぜ」
喬のその言葉に洋介も頷く。だが敵も敵だった。
泣く子も黙る、鬼も逃げ出す、氷河期が再来するとも取れるような笑みで静かに2人を見つめた。
「その時は、その綺麗な顔が世間に出られないようにしてやる。それに、馴々しくはーちゃんなんて呼ぶな。一万歩譲歩して坂下で赦してやる。
いいか、俺だってはーちゃんに漕ぎ着けるまでに8年を有したんだからな!」
「――っ、常磐のアホッ」
「えぇっ、はーちゃん!?」
坂下がだっと駆けて行った理由がわからないらしい常磐の肩を洋介が叩き、しんみりと頷く。
「まぁ、こんな大勢の中であんなに惚気られたら流石に肩身が狭いよな」
「そうだな……」
どこか苦虫を噛み潰したような顔の喬が洋介の言葉に同意する。
「なんだよ、はーちゃんのやつ。俺がどれだけはーちゃんを愛しているか証明しただけなのに。むかつくなー。そうだ!家に帰ってぎゃふんと言わせてやるッ!」
そう言って坂下が消えた廊下を進む常磐の後ろから、深い溜め息が数多く漏れたが先を行く2人の耳に届く事はなかった。
――ぎゃふんとじゃなくて、アンアンの間違いだろっ。
と思ったのも、決して少ない人数ではなかったはずだ。
それから数日後、学祭の校内新聞とともに『坂下への告白禁止令』が出たのは、後年へと長く語り継がれる伝説の1つとなった。
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