名前を呼ばないで 02




「…ンっ……ぁ、は…」


くぐもった声で吐息を洩らす雪が可愛くて、人がいるにも関わらず思う存分雪の舌を味わってしまった。
唇を離すと、とろんとした目と上気した頬、それに唇の端からつと流れる唾液に思わずごくりと唾を飲み込んでしまい、押さえ切れそうにない自身に苛立った。
ぐいっと雪の細い手首を掴んで席を立たせ、映画館を出る。
途中ちらほらと寄越される邪な男たちの視線から雪を守るように人目を避けるように足早に俺の家へと向かった。
共働きで全く家に帰ってこない両親は俺を慮ってか、セキュリティーシステムの充足したマンションを借りてくれてそこに1人暮らしだ。今となってはそれがありがたい。
呆然としている雪を連れて5階でエレベーターを降り、角部屋の部屋へと入っていった。
まだ外は明るい。冷房のスイッチを入れて雪をリビングのソファーへと座らせて冷蔵庫を開ける。
だが生憎と客をもてなすようなものはなにも入っておらず、缶の清涼飲料水があるだけだ。
これから雪とする事を想像して、缶を手に取りリビングへと戻った。
手持ち無沙汰な雪がきょろきょろと室内を見回している。その前に無言で缶を置いた。
じっと俺を見つめて、そろそろっと手を伸ばし缶を開ける。
こうして見ると、電車で会ったやつとはまったく違う人物みたいだ。
あの時は笑顔の絶える事のない明るいやつだな、と思ったが、知り合ってみると俺が話し掛けた時にしか笑顔は見せない。 だが、花が綻ぶような笑顔で、雪に似合っていて可愛い。
缶を傾ける雪の喉元に目が釘付けになる。
名前の通り、雪のように真っ白な肌にうっすらと浮く血管が手に取るくらいわかるようで、歯を立てて痕を残したいという欲求に駆られる。


「雪……」


自分で思ったよりも掠れた声が出て、雪が顔を上げる。
どこか苦しい顔をした雪がそれでも笑顔を向けてきた。


「月森先輩、どうかしたんですか?」


ことりと首を傾げて俺の顔を伺い見る。
その様に我慢できなくて、ソファーの上だというのに雪を押し倒していた。


「せ、先輩…ンむ……っ」


雪の開いた口から覗く舌を絡めとるように、深く口付けた。
俺の体を押しのけようとしているのか留めようとしているのかよくわからない手を頭上で纏めて、空いているもう片方の手で服を捲り上げる。


「は、あっ……ン、ゃぁっ…」


少し高い声が漏れて俺の耳を擽る。
恥かしいのか、真っ赤に染まった顔で不安げに見つめてくる。
雪の体はまるで、真っ白い雪の積もった大地に2輪の真っ赤な花が咲いたようで、胸の飾りも可愛らしい。
誘われるまま口に含んで舌で転がす。もう片方は手で弄る。


「やあぁ……せんぱ…は、やめっ」
「やめる?ここ、こんなになってるぜ」


明らかに感じているくせに素直にそう口にしない雪を虐めるように、膝で反応し始めた雪自身を押し上げる。
すると四肢に力を込めて、雪が短く啼いた。
両手を拘束していた手をどけて、その手をさらに下へと持っていく。
ズボンのファスナーを下ろして下着の中に手を入れると、蜜すら零している雪を捕まえた。


「――っ、ぁ……」


今度は両足を拘束する衣類を脱ぎ去るように片手で雪自身を捕まえ、もう片手で器用にズボンを脱がしていく。
すらりと長い足が惜しげもなく披露されて、その付け根に赤い痕を残した。 花が散ったような痕に満足げに喉を鳴らすと、ふるふると震えている雪自身にちゅっと口付ける。
それまで男とは片手で数えるほどしか経験のなかった俺だが、敢えてこういう事はしなかった。どちらかと言えばやらせていた方だ。
けれど、雪のそれは可愛らしくてどこまでも清楚だった。
口に含んでアイスキャンディーでも舐めるかのように先だけを口に含んだり、奥まで咥え込んで裏筋を舐め上げたりと、雪がいくまで口から離そうとはしなかった。


「んぅ…っ、…ふ……あぁっ」


達した後の息を整える雪の溜息も色っぽくて、俺のものはさっきからずっと反応しっぱなしだ。
そろそろいいかなとソファーの脇に置いてあったローテーブルからローションを取り出して手に垂らし、その指を後ろの秘所へと宛がう。


「――――っ」


だが、想像以上に雪の躰に力が入り、指1本ですら満足に奥まで入らない。


「雪、力抜けって…」
「んん、…ふ……や、だぁ…」
「雪……」


首を振って強い拒絶を示す雪に苛立つ。
俺だって雪に無理はさせたくないのだが、熱を持ってしまった自身をどうする事もできずにちっと舌打ちした。


「雪」
「やめ……おねがっ…、やぁ」


いやいやと首を振りながら涙を零す雪を見て、徐々に熱が引いていく。
雪がセックスに慣れてるはずないのに、初っ端から無理をさせてしまった自分をどうしようもなく罵倒したくなる。
濡れた体を拭いて、服を着せていく。
鼻を啜る雪の体を抱きしめて落ち着かせる。


「あ…だ、大丈夫です。ごめんなさい…」


落ち着いた雪が俺から離れるように体を押した。
だがぎゅっと抱き込んで離すまいと力を込める。


「雪は悪くない。無理をさせた俺が悪いんだ。怖かっただろ」
「い、今は平気です」
「"今"はね」


正直な雪の気持ちに笑いが漏れた。
それからしばらく抱き合って他愛もないお喋りをして、雪を帰した。
今まで得られなかった充足感が今日はあった。






「よぉ、月森」


掛けられた声に、なんだと顔を上げれば中学以来の悪友新條が立っていた。
喧嘩の好きそうな切れ長の目がにまにまと三日月形に歪んでいる。


「なんだよ」


ぱちんと携帯を仕舞って鞄を手に取りながら新條に答える。


「俺は見たぞー」
「なにをだよ」
「一昨日、デートしただろ。S校の藤宮と」
「ああ。したけど?」
「やるねー」


雪の事を言われて思わずニヤける。
今の今までメールしていた相手だって雪だ。
メールでも雪の性格を思わせるような、俺を気遣う丁寧なメールに「まじでお嫁にしたい!」と思ったほどだ。


「かわいいぜー。笑顔がさ、もう半端なくたまらねーの。あの顔で微笑まれちゃ誰だって落ちるね」
「へー、お前がそう言う相手とはね。つー事は藤宮雪の方か?」


一瞬、新條の言葉に引っかかりを覚えた。


「雪の方は誰にでも明るいからな。まぁ、あの顔ならどっちでもいいか」
「は?ちょ、ちょっと待てよ。雪の方かってどういう事だ?」
「言葉通りだろ。お前と付き合ってるのって雪だろ?」
「そりゃ、雪しかいないだろ」


そりゃそうだ。
それなのに、新條の口振りときたらまるで雪が2人いるみたいに……――。


「あれ、お前知らねぇの?S校の藤宮って2人いるぜ。雪と冬。双子なんだよ、あいつら」
「は……ぁ?」
「え、まじで知らなかったの!?笑わすぜ、こいつ。もしかして雪と思っていたやつが冬だったりしてなー。じゃあなっ」
「え、おいっ、ま、待てよ!!」


掻き回すだけ掻き回していった新條に悪言を吐きたくなるが、今はそれよりも雪の事だ。
S校の藤宮と言えば雪の事で、その雪は双子で冬という兄弟がいる。


――もしかして雪と思っていたやつが冬だったりしてなー。


新條の言葉が蘇る。
まさかそんな、と思うが、否定しきれないところがどこかある。
電車で会った時の雪の雰囲気と俺が知っている雪の雰囲気。どこかしら、少し違う。
嘘だろ…と思いつつ、携帯を開いて"雪"にメールを入れる。


――今夜8時。蓬莱堂。


たったそれだけで、携帯を閉じた。
もし…もしも、俺の知っている雪が冬だったとしたら、俺はとんだ道化だ。電車の中で会った雪に惚れたというのに、間違って冬に告白していただなんて。
いや、まだ"雪"が冬と決まったわけじゃないんだ。そうだろ。"雪"の名を借りて俺を騙す必要なんて冬にはないんだからな。






8時までどうしようかと街をぶらついていた俺は、その道すがら雪を見つけた。
相変わらず華奢な白い体で、S校の制服を身に着けていた。
俺を認めた雪が一瞬考え込むように首を捻り、それから笑顔で向かってきた。


「月森先輩、久しぶりですね」
「………あ、ああ」


久しぶりもなにも昨日会ったばかりであるし、ついさっきまでメールもしていたというのに。


「雪、か?」
「なんですか?」
「いや、なんでも」
「そうだ、先輩。時間ありますか?」


やっぱり俺の知る"雪"は雪じゃなかったって事――か。
目の前にいる雪のように自分から話し掛けてくるような子じゃなかったし、なにより会話が不自然だった。


――騙されていた、って事か。


「先輩?」
「ああ。大丈夫だ。どこか行くか?」
「ええ。向こうの喫茶店なんてどうです?」


そう言って目の前の雪が指し示したのは不運にも俺が告白したあの喫茶店だった。
カランカランとベルがなり、いつか見たウェイトレスがぺこりと頭を下げた。
アイスティー2つ、と声を掛けて席に着くと、雪が急にそわそわしだした。


「雪?」
「あ、あは。月森先輩といるとどうも落ち着かなくてね」
「へぇ。どうして?」


どくんと心臓が高鳴る。それは俺を意識してるって事だろうか。
元々俺が告る予定だったのは、冬じゃなくて雪だ。バチは当たらないだろうし、当たるとしても冬の方にだ。俺を騙していたんだから。


「じ、実は…先輩の事、好きになったりして……えへ」
「ふーん…」


興味なさそうに相槌を打つと、慌てて言葉を続けた。


「弟に、最近恋人が出来たみたいでさ。触発されてっていうか、月森先輩の事を思い出して好きかな…って思って」
「弟って冬クン、だっけ?」
「うんそう。僕と同じ顔の双子の弟。先輩知ってる?」


知ってるもなにも、雪と間違えたしね。
心の中で自嘲して、だけど声には出さずにいいやと首を振った。


「俺は雪にしか興味ないみたいだし」
「そ、それって……」
「俺でよければ喜んでってやつだよ」
「ほんとにっ!?」


くるくると変わる表情が可愛らしい。
照れたり、焦ったり急に笑ったり。冬では見られなかった雪の顔が見られる。


「ああ」
「あ、じゃあ、これ僕の番号」


ポケットから携帯を取り出し、自局番号を引いて俺に見せる。
携帯まで一緒かよと、吐きたくなる溜息を飲み込んで冬の番号を消すように上書きした。それから俺のメルアドと番号も教えて、しばらく話し込んだ。
次のデートの約束まで取り付けて雪とわかれた頃にはあたりはすっかり夜の帳が下りていて、時計は9時を回っていた。


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