名前を呼ばないで 04




「ねぇ、先輩。次はどこに行こうか?」
「ん〜………」
「先輩?」


俺の前に立ち塞がって雪の真っ黒な瞳が俺を見上げた。
やる気のなさそうなふやけた俺の返事に雪が少し怒っているのがわかる。
形の整った眉が逆八の字になり、目尻も吊り上る。


「…そんな顔して怒ってもね」
「だって先輩が僕の話聞かないんじゃないか」
「ごめんごめん。少し考え事してただけだ。それで、なに?」


苦笑して雪に聞き返した。
ぷうっと頬を膨らませた雪が、「次はどこに行く?」と答えた。


「んー、どうすっかなー?」


立ち止まって考え込むようにポケットに手を突っ込んだ。
今、俺たちは最近出来たばかりの遊園地に来ていた。
休日という事もあり家族連れやカップルで賑わっていたが、男同士というのもそう珍しいものでもないようだった。ただ、俺と雪の容姿からして結構目立ってはいたが。
朝から来ていて目ぼしいアトラクションにはほとんど乗った。
回転数の多いジェットコースターやミラーハウス、果ては2人で仲良くホラーハウスにも行った。
時間はとうに5時を回っていた。


「僕の家に来る?」
「は?」


いつまでも考え込む俺の服の裾を引っ張って雪がそう言った。


「だってお腹空いたし。家に帰れば冬が…、弟がご飯作ってるだろうからさ。きっと先輩の分もちゃんとあるよ。いつも多めに作ってくれるから。ね?」


吸い込まれるような雪の笑顔に気がつけば頷いていた。






雪に案内された家は洒落た小さな一軒家で、既に明かりが灯っていた。きっと冬がいるのだろう。
がちゃりと玄関のドアを開け、どうぞと雪が俺を招く。


「たっだいまー」


明るい声が家中に響くが、それに返る言葉はない。
雪も不審に思ったらしく、俺を家の中に上げながら廊下に並ぶ2つの部屋のうち奥側の部屋の扉をノックもなしに開けた。


「げ、雪じゃん」
「……嗣仁、」


冬らしいといえば冬らしいシンプルな飾り気のない部屋に、俺の見た事のない男がベッドに横になりながら本を読んでいた。
よく見ればその顔は不機嫌そうに歪められている。雪も同様に苛ついた表情だ。


「なんで嗣仁がここにいるんだよ。冬は?」
「冬は風呂。俺がここにいる理由は冬が夕食を誘ったからだ」


冬のベッドに堂々と寝転がっている男――嗣仁が、雪から視線を外してその後ろにいた俺に向く。


「あんた……月森、恭平?」
「ちょっと!冬のベッドから降りてよ。冬が汚れるーっ」
「煩い、このブラコンめ」


怒りで顔を真っ赤に染めた雪がわなわなと震えている。冬のベッドの上から嗣仁を退けようと近づいた雪の手を払いながら嗣仁が聞いた。


「あれ、お前の新しい彼氏?」
「嗣仁には関係ないでしょ。ほら早く退いてよ!」
「ふ〜ん」


きゃんきゃん騒ぐ雪を煙たそうにしながら渋々嗣仁が冬のベッドを降りたのと同時期に家の奥からがちゃりと扉の開く音がした。
雪にもそれは聞こえていたらしく、冬ーと甘えたような声を出しながら部屋を出て行く。
遠くから久しぶりに冬の声が聞こえた。
部屋に残された俺たちは暫くお互いに見つめ合って…睨み合っていたが、嗣仁を呼ぶ冬の声にヤツも俺も同時に視線を逸らした。


「冬は渡さないからな」


と、すれ違いざまに言われ苦笑を洩らしたくなった。
冬は渡さない、と言われても俺が付き合っているのは雪であって冬じゃないのだ。
だが、そう思っているはずなのになぜか笑えなかった。






嗣仁の後に続くのは癪だが、他人の家を堂々と出歩く図々しさはない。
勝手知ったる他人の家とばかりに前を歩く嗣仁が2人の待つリビングへと入っていった。


「あ、嗣仁。留守番ありが……」


雪に抱き付かれていた冬が、嗣仁の登場により笑顔で顔を上げて振り向いた。
だがその顔もその後ろに見えた俺を捉えてふいに凍りつく。


「冬、ふーゆ、冬ちゃん?」


俺と冬との間に流れた気まずい沈黙を知らずに雪が冬の気を引こうと名前を呼ぶ。
はっと我に返った冬はどもりながらも、なに?と聞き返した。


「大丈夫?」
「な、なにが?」
「…んーん、なんでもない。そうそう、冬に紹介したい人がいるんだよ。前にメールで伝えたけど、僕の彼氏の月森恭平先輩。M校の人なんだけど知ってる?」


同じ身長なのに、まるで冬が高いかのように雪が上目遣いで見ている。
俺から無理矢理視線を剥がした冬が、引き攣ったような笑いを浮かべて小さく頷いた。


「…知ってるけど、生で見たのは初めてかな」
「そう。っていうか冬、本当に大丈夫?顔色悪いよ」
「うん、平気」
「冬」


静かな声がリビングに響く。嗣仁が冬の名を呼んだのだ。
目に見えてわかるほど冬がほっとしたのがわかり、俺と雪に背中を向けて既に席に着いた嗣仁に向き直る。


「なに?」
「早く食おうぜ。もうぺこぺこだよ」
「あ、うん、そうだね。雪も早く席に着いてよ。……先輩も、良かったらどうぞ」


なるべく俺の顔を見ないように着席を促し、リビングに内接しているキッチンへと入っていく。
数日振りに見る冬はやはり雪とそっくりで、まるで鏡に映った1人の人物を見ているようだった。
だがそれは外見だけで、中身を知れば2人の違いが歴然とする。
雪は誰とでもすぐに打ち解けられる社交的なタイプで、自分の意見をはっきり通す芯のしっかりしたやつだ。
それに比べて冬は人見知りが激しくて、他人の後ろに隠れるようなタイプだ。さっきも嗣仁の声に助け出された感があった。
俺を見ない冬に――嗣仁の背中に隠れる冬に、どうしようもなく苛々した気持ちになる。


――俺の事好きな素振りを見せて、フラれたら次の男かよ。


目の前に出されたペペロンチーノをフォークに巻きつけ、口に運びながら斜めに座る冬を睨みつける。
食事中、雪と嗣仁がなにか言い争っていたが、それすらも気にならないくらい冬を見ていた。


「…い、…んぱい……先輩っ」
「ん?…あ、なに?」
「また話聞いてないんだから。もう9時回ってるよ。帰るの?それとも泊まってく?」


雪が指差す方向を見ると、確かに時計は9時を回り、窓の外は真っ暗だ。


「おいおい。冬もいるのに夜中にお前のアノ声聞いたら嫌だろ。少しは考えろよな」
「なっ!別にそんな意味で言ったわけじゃないよ。嗣仁こそ、そういう考えしかできないのかよ」
「――帰るよ」
「先輩?」


ご馳走様と呟いて席を立つ。
リビングに入ってきた道を逆に辿り玄関に辿りつくと、後ろから雪がぴょんぴょんと着いてくる。


「じゃあな、雪」
「うん……。あ、先輩…あのね、」
「キスか?」


頬を染めて俯きもじもじしている雪を遮りそう言うと、薄紅色に染まっていた頬が真っ赤に変わる。
こくんと頷く雪の背後をちらりと見て、リビングから冬が出てくるのを見た。その手に俺がわざと忘れた黒い携帯を持っている。


「先輩、忘れ…」
「んむっ……あ…は、ぁっ」


雪の顎を捕らえて上向かせ、わざと音を立てて唇を吸い薄っすらと開いた唇に己の舌を差し入れる。
くずおれそうになる雪の腰を抱き寄せてさらに密着させ冬を見ると、呆然と目を見開き凝視している。
その手から携帯が滑り落ちる。
がたん、と携帯が床に落ちる音に雪の体がびくんと揺れ、手を突っ撥ねて俺の体を押し返す。


「あ、冬…これは、その…」
「う、ううん。僕が悪い、んだし。はい、これ。忘れ物だから」


ごめん、落としちゃったけど…と笑う冬の手から携帯を受け取り、サンキューと気さくな先輩風を装う。


「じゃあな、雪。また今度メールするよ」
「うん。じゃあね、先輩」


| back | novel | next |